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義務教育という言葉は、ほとんどの人が知っている。聞いたことない という人は珍しいんではなかろうか。

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では、この義務って何だろう。義務というのは、だれかが何かをしなければならない ということだ。
誰が、何を しなければならないのだろう。
おそらく、たいがいの答えは「子どもは学校に行かなくてはならない」かな。たぶん、そう答える人が一番多いだろう。現実は、たしかにそのようになっている。学校からも親からも不登校は事件のように扱われて、学校に行くのはやはり当然の義務だと思われている。
ではでは、本家本元の教育基本法を見てみよう。
第五条 義務教育
(1)国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負うこと。
答え1 誰=国民=親
答え2 何を=普通教育を受けさせる
つまり、子どもが学校に行く義務ではなく、親が学校に行かせる義務 なのである。なんだ、同じことじゃないか と思う事なかれ。ことはそう単純ではない。なんでそうなったのか を考えなくては。
日本で初めて義務教育というものが出現したのは、明治19年に小学校令という天皇の命令が出たときらしい。
小学校令
第三条 児童六年より十四年ニ至る八箇年を以て学齢とし父母後見人は其学齢児童をして普通教を得せしむるの義務あるものとす
第五条 疾病家計困窮その他やむを得ざる事故により児童を就学せしむること能はずと認定するものには府知事県令その期を定めて就学猶予を許るすことを得
当時は授業料も取られるので、一般庶民が子どもを学校に行かせるのは、なかなか大変だった。では、学校に行かない子どもは何をするのかと言えば、もちろん家計の助けに仕事をしていた。世界中を見渡せば、今でも普通のことだ。
ユニセフの統計では、日本も含めた世界中の子どもで小学校に入学するのは90%くらい。出席率は80%くらい。中学になると、入学で60%弱、出席率は50%弱。
そのほとんどは、不登校ではなくて家庭の事情で行けない子どもであろう。そういう事情に対して、仕事をさせずに学校に行かせなさい というのが義務教育の事始めなのである。
ただし、明治天皇や明治政府が子どものためを思って、そのような義務教育をしたのかどうかは極めて怪しい。本当にそう思っていたのなら、授業料をタダにして誰でも行けるようにしたはずだからだ。そうせずに、金がなければ義務を免除するということは、行きたくても行けない子どもは切り捨てられていたワケだ。
では、なんで義務教育なんてことを言ったかというと、江戸時代のままの寺子屋教育では色んな考え方の人間が育ってしまうからだ。松下村塾のようなのがボコボコできてしまったら、明治政府は枕を高くして眠れない。自分たちの出自でもあるだけに、いかに危険な存在かということはよ~く知っていたはずだ。
それともう一つ、これは良くいわれるように殖産興業のためだろう。産業をどしどし発展させていくためには、ある程度学のある人材が必要だった。取締役はごく一部の士族や華族が独占するとしても、中間管理職が全然足りなかった。
だから、義務教育というのは、子どもを労働から解放するという目的と、国家や産業に役立つ人材を育てるという目的の二面性があるということ。
数年前に教育基本法が変わってしまったけれども、何が変わったのかというと、ここのバランスが大きく変わった。前の基本法は、義務教育=子どもの権利という考え方だったけれども、今の基本法では義務教育=国家の役に立つ人材という色が濃厚になってしまった。その最たるものが、教育の「目標」を設定したことだ。
第二条 教育の目標
教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとすること。
と、以下五つの目標を書いてある
一 知識と教養、真理を求める、情操と道徳心、健やかな身体
二 個人の価値、能力、創造性、自主および自律の精神、勤労を重んずる
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力、公共の精神、社会の形成に参画、その発展に寄与
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全
五 伝統と文化、我が国と郷土を愛する、他国を尊重し、国際社会の平和と発展
まあ、これだけシバリをかけたら学問の自由とは言わない。なにせ、基本法に書いてあるのだから、日本の学校ではこれ以外のことは教えたらいけないということになった。
念のため、以前の第二条は
学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。
となっていて、結論は「文化の創造と発展」であり、その中身については学問の自由に任されていた。現実の教育現場は、ぜんぜんこんな風ではなかったけれども、とりあえず建前だけはこういうことだった。
それが、建前をかなぐり捨てて、お国の発展に寄与しなさいと目標設定されてしまった。
もうひとつ、建前を見ておこう。日本も批准している国連の「子どもの権利条約」の28条1項を要約すると、
教育についての児童の権利を認めるものとし、この権利を機会の平等を基礎として達成するため、初等教育を義務的なものとし、すべての者に対して無償のものとする。
と書いてあり、子どもの権利を守るための義務教育だ ということが分かる。子どもを縛りつけるための義務教育ではなく、子どもを守るための義務教育。この精神を現場の教師の人たちも、子どもをもつ親も、ちょとは覚えておいてはどうだろうか。いくら現実とかけ離れていても、本来はそういうもんだというとは頭の片隅に置いておきたい。
どうもこの章は法律とか条約とか、やたらと堅い文章が多くなってしまった。でも、それだけ私にコダワリがあるということ。義務という言葉を聞くと、ビビッと反応してしまうのだ。
思い起こせば、小学校6年生の終わりごろ、中学へ行くのがイヤで仕方がなかった。何がイヤかと言って制服がイヤだった。学ランのデザインが嫌いとか、軍服みたいで気持ち悪いとか、信じられないくらい機能性が悪いとか、そんな問題ではなかった。中学と高校の6年間は、制服や校則との戦いだった。生徒手帳の校則を隅から隅まで読み込んだ子どもは、日本広しといえどもそうたくさんはいないだろう。
公立の中学には、実は制服はない。標準服というものがあるだけだ。これは、義務教育だからだ。子どもの権利を守るための義務教育だから、子どもを不要に制限するようなものは、本来は認められない。だから、制服という言葉はどこにも書いてなくて、標準服と書いてある。当然、着なくてはならない、とも書いてない。ところが、じゃあ着ないというと、恐るべき制裁が待っている。問答無用だ。理屈ではこちらが勝っても、権力で押さえ込まれる。 現実は、子どもの権利を守るための義務教育ではなく、子どもに義務を強制する義務教育だった。
高校も公立高校で、こちらは私が2年で編入したときは私服だった。学ランを着ているのはクラスで2,3人くらい。ところが、私たちの次の学年から一気に真っ黒けになった。学ランとセーラー服一色だ。3年生は私服で、2年と1年は制服という変な学校になった。うるさいのがいなくなるころを見計らって制服強制に乗り出したようだ。怒りというよりは、教師に対する軽蔑心を植えつけてくれた。理屈で勝てないと権力を振りかざし、権力でも屈しないと見るとこそこそ隠れて陰謀を練る。なんて奴らだろう。このころから、センセイという呼び方にすら嫌悪感を思えるようになった。ちなみに設計事務所をやっているとセンセイと呼ばれることがちょくちょくあるのだが、内心イヤでイヤでたまらない。
と、そんな経緯があって、義務教育という言葉にはものすごくコダワッテいる。本当は「子どもに自由を与えるための大人の義務」なのに「子どもに義務をあたえるための大人の自由」になっている、そんな現状に怒っている。そして、それがますます酷くなる教育の改革とか再生とかに、強烈な危機感をもっている。
おそらく現場の教師は、板挟みで悩んでいる人も多いことだろう。ただ悩みながらも逃げてしまうと、私の高校時代のように子どもに見透かされる。 もともとは心優しい先生だったとしても、卑怯者に見えてしまう。
かといって、先生の置かれている状況もなかなかシビアだ。東京都の君が代強制には、ついに生徒が先生に同情するということまでおきている。「これ以上先生をいじめないでください」という戸山高校の卒業生の言葉を、日本中の教師はどう受け止めたのだろう。
子どもの自由を守るためには、先生はクビをかけなくてはならない時代になってしまった。それはたしかに同情に値する。けど、それに甘んじていては先生の名が廃るというもんだ。それでもなお、なんとか知恵を絞って子どもの自由を守ることが、義務教育の「義務」なんだと思う。それは、もちろん親も同じだ。そして、それはできればクビにならない戦いであるべきだ。
そこで、やっぱり頼るべきは木の力だと思うのだ。たとえば林間学校のあり方。根性出して登山をさせるという方法もあれば、森の命を実感させるという方法もある。校庭に生えている木や草だって、何気なしに見ているのと、命の教材としてみるのでは大違いだ。最近はやりの食育だって、飯の食い方まで国に指図されるという危惧もあるけれども、命のダイナミズムを子どもに実感させる機会になるかもしれない。
木を含めた植物の力というのは、もの言わぬだけにうまく使えば強力だ。そして、その力を長い時間とどめておけるのが木の家であり木の教室だ。
ぜひ、実践してもらいたい授業がある。子どもたちと山で木を切ろう。もちろん、その山がどうやってできてきたのか、木がどうやって育ってきたのか、しっかりと理解しつつ。自分で切った木の切り株を見ながら、山を守ってきたおじさんたちに説明してもらう。そして、自分たちでその丸太を運んでみよう。わずか直径20㎝の丸太がどれだけ重いことか。丸太を平らなところまで運んだら、今度は製材だ。近くに製材所がなければ、チェーンソーで簡単に製材できる機械なんかもある。環境教育とか何とかいって買ってしまおう。そこで、丸太は板や柱のような四角い材料に変身する。茶色い木が真っ白な木材に変身する。そこまでできたら、次は学校へ持って帰って天日干しだ。だんだん乾いて縮んでくる。2ヶ月くらいほしたら、いよいよ大工の日だ。家庭科の実習として、教室の壁に自分たちで切った木を貼ろう。画鋲も刺しやすいし、木目もきれいだし、なんと言っても自分たちで切ってきた命ある木だ。
そうやって、命をもらって生きてるということを、きれい事でなく実感として感じることは、かならず自分たちの命を実感することになると思う。机上の勉強で、命はだいじですね みたいなのはヘタをすると逆効果で、もらった命は捧げましょうみたいなことにもなりかねないけれど、実感できた命、いとおしいと思った命はきっと大切にする。
真っ正面からの戦いももちろん大切だ。けれども、こっそりと子どもの何を残せるのか、何を渡せるのかというゲリラ戦もあっていい。木の家や木の教室は、そんな可能性をもっている。

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