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Hello 山岸飛鳥 さん     
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プロフィール
HN:
山岸飛鳥
HP:
性別:
男性
職業:
木の家プロデュース
趣味:
きこり
自己紹介:
木の家プロデュース明月社主宰
木の力で子どもたちを守りたい
田作の歯ぎしりかもしれないけど
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  木の家木の家といっても、だれでもいつでもすぐに手に入るものじゃあない。思っているほど高くはないけれども、かといってみのもんたさんご推薦の○○ホームのようなわけにはいかない。それに、これから家を建てようという人自体が少数派だ。1年以内に家を建てようなんていう人は、全体の1~2%にすぎない。その大部分は建売りか売建て住宅の購入だし、20%くらいは大手の住宅メーカーだ。だから、本物の木の家にたどり着く可能性のある人は、ものすご~く少ない。砂漠の針というか海の中のイクラというか、そのくらいの確率しかない。
 で、そのくらいの稀少な人たちがイザ木の家が欲しい、と思ったときにどうしたらいいんだろうか。「そりゃもちろん私に連絡してくれればいいんです」と宣伝もしつつ、しかし、全国の木の家ファンがどっと連絡してきたらパニックになるなあ、なんてバカな話をしていないで現実的なところを考えてみる。
 
 少数派とはいえ、まずはこの家を建てる人のことからこの章では考えてみよう。さっきも言ったように、誰に頼んだらいいんだろう というのがまず最初の悩みになるだろう。インターネットや広告で「木の家」とか「自然素材」とかをうたっている工務店は、山ほどある。玉石混淆で、どれが本物でどれがにせものか。悪い会社じゃなくても、いろんな流儀の会社があるだろう。なにより、いくらいい家でもあまり高い値段では、子どものためのいい環境を作るつもりが、ローン地獄になってしまう。本末転倒だ。などなど 悩みはつきない。
  ○○ホームみたいに、極端な低価格を売り物にしているところは別として、ほとんどの住宅メーカーとならば木の家は価格的には充分に勝負できる。私の経験範囲でいうならば、住宅メーカーよりは少し安い目にできあがる。もちろん何にこだわるかによるし、キッチンや風呂なんかの設備機器で家の値段は大きく変わってしまう。
 それと、もうひとつ大きく値段に影響するのが、工務店の体質。大手メーカー以外の工務店も千差万別。規模も違えば収益構造も違う。工務店ほど業界としての標準化がされていない業界も珍しい。そして、なによりビックリするのが、いまだに「かかっただけ請求する」という工務店があることだ。予算も見積もりもなくて、工事をやってみたら結果○○円かかりましたので下さい、という方式だ。なんでこんなことがまかり通るのかというと、ちょっと昔は大旦那の家には出入りの大工がいた。そういう大工は、頼まれた仕事をして、かかった分だけ請求した。大旦那も太っ腹にそれを払ってやった。そんな古き良き時代の名残なのである。
 しかし、今どきのお客さんにそんなことをしたら、消費生活センターに電話したりして大騒ぎになる。ヘタをしたら裁判沙汰だ。それくらい、工務店の営業している環境によって、違いがある。まったく見積もりもしないような工務店が、いきなり一般人の住宅を建てることはない。住んでる世界がちがうから。けれども、そういう体質を色濃く残した工務店が、実は木の家の世界には多いのである。見積もりはするし、かかっただけ何でも請求できるとは思っていない、さすがに。でも、見積もりはおおざっぱだし、何より「予算ありき」という考えがものすごく希薄だ。
 
 「予算ありき」が良いことだ と言いたいんじゃない。予算ありきが、結局は下請け泣かせになり、偽装請負になり、派遣切りになっているのだから、何でもカンでも安ければいいという根性は、結局まわりまわって自分のクビを絞めているということくらいは私にもわかっている。でもだからといって「予算はかかっただけ」では、大金持ちの旦那衆でもないかぎり付き合いきれない。このくらいのものならば、このくらいの予算でできるはずだ、という相場観がなくては、家を建てようという人からすればたまったモンじゃない。
 プリウスが150万なのか250万なのか発注してみなくてはわからない、では誰も買えないでしょ。ところが、家の場合はそういうことが日常茶飯事におきている。この業界のまっただ中にいると感じなくなってしまうけれども、冷静に考えたらやっぱオカシイ。
 家は一品生産だから、トータルの価格はまちまちになるのは仕方がない。が、部分ごとの値段は相場があってしかるべきだろう。同じ壁紙を貼るのでも、工務店によって1000円だったり1500円だったりする。同じ工務店でも1割2割は単価を変えたりすることは普通にある。お客さんの懐具合を見ながら加減する。シビアなお客さんには安くして、その分鷹揚なお客さんからいただくという寸法だ。これはどう考えても反則だ。いい人が損をする。
 予算の中でどれだけのことができるのかということと、職人の生活が成り立つということのギリギリのせめぎ合いを真剣に考えるのかどうか。ここに工務店の資質、体質がある。残念ながら、木の家を得意とする工務店には、どちらかというとその真摯さが希薄だ。「掛かるモノは掛かるんだから仕方ない」という頭が抜けないうえに、こっちの家で損した分をあっちの家でボッタくろうという考えもアタリマエのようにまかり通っていたりする。
 しかもそうした工務にかぎって、技術的にも問題を抱えている。木の家業界では名の通った工務店が、耐震構造に関わる釘の種類すら知らなかったというような恐ろしい現実をいくつも目にしてきた。私が監理をするより以前にあの工務店が建てた家は、そうとう高い確率で欠陥住宅にちがいないのだ。あれ以降は、ちゃんと認識してくれていると信じたいが・・・
 今から家を建てようという人は、この辺をチェックポイントにして工務店を選ぶのがいいと思う。ホームページの雰囲気や建てた家の写真からだけでは、こうしたポイントはわからない。ひとつの目安は、見積書の正確さだ。工事する面積を正確に算出しているか、それに対してマトモな単価をかけているか。それをわかりやすく見積書に記載して、ちゃんと説明ができているか。
 ところが、こうしたシステムはバッチリでも、ひどく人情に欠けるという場合もある。棚板一枚、金物一個でも追加請求になるようなケースだ。家を建てる人にとっては、やってみないとわからない部分はたくさんある。いくら図面で書いてあっても「やっぱり棚がもう一段欲しい」ということはよくある。そのすべてを追加請求されると、施主は大慌てになる。だから、見積もりの1~2%くらいは経費部分で余裕を持っておいたほうが円満に引き渡しできる。上乗せと言えば上乗せだけれども、そのくらいは必ずといっていいほど足を出すから、その辺まで見通して見積もりできるのが、経験であり人情というモノだ。
 ということで、見積書の正確さと、人情味をあわせもった工務店というのが、まず一つ目のポイントになる。
 
 よくある工務店の評価に「昔からここでやってる」というのがある。長年営業していて、ひどい評判が立っていないから良い工務店じゃないの という考えだ。これはたしかに一理ある。少なくとも、悪意のある手抜き工事とかボッタクリはやっていない会社だというのは確かだろう。ただし、歴史の古い工務店ほど「掛かっただけ請求」するようなところが多いし、今どきの技術に疎い場合もある。耐震構造なんて、大地震がこない限り間違った施工をしていてもわからない。ほとんどの家は大地震に遭遇することはないから、間違っていてもバレることはまずない。だから、悪意ではないんだけれども、知識が古すぎるとか間違っているような場合は、地元の評判ではまずわからない。
 このへんは、はっきり言って素人さんには判断不可能な領域になる。イチかバチかその工務店の社長を信じて前に進むか、専門の第3者を間に入れるしかない。それが設計事務所ということになる。つまり、私の職業。ところが、最近は設計をせずに第3者チェックだけするような会社も登場している。今のところ私は直接のおつきあいがないので、どのくらいのチェックをしているのか、どのくらい第3者を徹底しているのかわからないけれども、こういう方法もあることはある。
 いずれにしても、人柄や誠意だけでは技術的に正しい家はできない、ということは憶えていて損はない。欠陥住宅というのは、詐欺師のような会社ばかりが作ってるワケじゃない。本当にいい人たちが、知識がないばかりに「すばらしいできばえの欠陥住宅」を作ってしまっていることが とっても多い。
 
 あとは、「受け売り」ばかりの工務店は避けた方がいい。有名な○○先生の信奉者とか、○○工法に一辺倒とか、そういうのは自分で考える力がちょっと不足している証拠だ。どんな主張にも、どんな工法にも、良い点と悪い点、少なくとも、自分に合うところと合わないところがあるはず。そういう批判精神をどっかに置き忘れてきたような人は避けた方が無難だ。
 いつも私は歯がゆい思いをするのだけれど、トータリティーというのはあまりウケがよくない。逆に、何かひとつがものすごく良い という話はすごくウケる。でも、だいたい「ものすごく」の裏に、いろんな不都合や凡庸が画されている。構造はバッチリだけどシックハウスはあまり考えていないとか、断熱はものすごいけど構造は普通だとか、そういう類がほとんどだ。
 ウケ狙いでなしに家作りを考えるならば、人の生活のいろんな面を包み込む家 というトータリティーが絶対に必要。冷静に、技術者としてそういう面をしっかりと考えている会社であったり社長であったりするならば、点数高いと思う。
 
 子どものために、あるいは自分のために木の家を建てよう、という本当にラッキーな人は、その幸運を無駄にしないように、しっかりと五感を、または六感を開いて前に進んでほしい。
 
 
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  私は昔から学校が嫌いだ。少なくとも好きじゃない。よくよく考えてみれば、学校って異常な集団じゃないか。たまたま近くに住んでいるというだけの理由で、朝の8時半から夕方の4時くらいまで、月曜から金曜まで同じ部屋に詰め込まれ監禁される。一人あたり1畳分くらいのスペースというのも、スゴイ話。6畳の部屋に6人が朝から晩まで缶詰になったら、どれほどウットーシイか想像できるだろう。しかも、床の間にはセンセが鎮座していたりする。
 そして、この何の必然性もない集団の中で、友だちを作らなくてはならない。社交的な性格は悪いことではないが、それと同じくらい非社交的なことも悪いことではない。そんな人間にとって、年齢と居住地域以外に何の共通項もないものと友だちになるというのは、とんでもなく苦痛な話だ。子どもは必ず友だちができるものだ、なんていう迷信は、社交的ないわば表側の人たちの言い分であって、ウソではないけれどもことの半分でしかない。
 近くに気の合う子がいなかったり、一人で遊ぶのが好きだったり、人と話すのにものすごく緊張したり、いろんな子どもがいるはずだ。でも、いろんな子どもを認めるということは、集団生活を進行する上では大きな負担になる。1人の先生を3人にも4人にも増やさなくては対応できないとか、そもそも先生の価値観を大幅に広げてもらわなくてはならない。現実は、子どもの都合にあわせて先生を増やしたり、先生の方が変わるなんてことはなくて、学校の都合や先生の価値観に子どもが合わせられることになる。
 で結局、集団生活に効率的なように、みんなに併せて人付き合いのできるのがアタリマエということにされてしまう。その時点で、イジメはもう既定路線だ。かならずおきる。おきないほうがオカシイ。
 
 さかなクンの「いじめられている君へ」という話は有名な話なので聞いたことのある人も多いだろう。中学の吹奏楽部でいじめられている友人と一緒に釣りにいったこと。言葉を交わさなくてもそばにいるだけで、その子がほっとした表情になったことなど。なかでも次の一節は多くのひとが引用している。
 
でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。(朝日新聞2006年12月2日より)
 
 水槽の中の秩序が必要になった時点で、イジメは必然的におきてくる。決まりというのは破るためにある、なんていう言葉もあるように、自然な状態では守られないからこそ決まりなんていうものがある。ほっておいても守られるのなら、わざわざ決まりなんて作られない。息を吐いたら次は吸わなくてはならないという決まりはないように。
 だから、決まりのあるところには、必ずそれを破る傾向のある者が存在する。着替えたり食べたりするのが遅いとか、なにか秩序を乱す子どもは必ずいる。本来そういう子がいるのがアタリマエで、そういういろんな子どもがいるから、それを締め付けるために決まりや秩序を作っているのだから、ちょっとくらい努力しても乱してしまう子どもはかならずいる。もし見た目にはいないとしても、それは、一定の子どもにものすごく大きなストレスを与えている。私自身が、典型的にそういう子どもだったから、骨身にしみてわかる。絶対にそうだ。
 
 今でも覚えているのが、「休み時間は外で遊びましょう」という決まりを学級会で決めたときのことだ。小学校の高学年だったと思う。言われなくても、休み時間はチャイムとともに校庭に駆けだしていたけれども、なんでそんなことを「決まり」にして多数決で強制されなくてはならないのか、強烈に反発を覚えた。今日は外へ出たくないなあ、という気分の子がいてもいいじゃないか。なんで、それを無理矢理ひっぱり出さなくてはならないのか。
 その決議があった日から、私は外へ出なくなった。休み時間も一人で教室にいた。いや、2~3人はいたような気もする。すると、いい子ちゃん代表がやってきて、ちからづくで引きずり出そうとする。机にしがみついて抵抗した。結局、規則違反という判決が下って、午後の授業は床に正座させられたまま受けた。くやしくてくやしくて、涙を流しながら授業をうけた記憶は、今でも鮮明だ。
 これが、教師といい子ちゃんが先導する秩序の姿であり、イジメの構造であると私は確信している。一人一人の人間の許容範囲(物理的な意味でも精神的な意味でも)が狭められていくと、ある限度を超えたところで決まりや秩序が非常に厳しく登場し、イジメも発生する。学校でも会社でもサークルでも公園ママでも、基本構造は同じ。
 
 教師の皆さんの名誉のために一言付け加えておくと、たぶん良い教師だろうが悪い教師だろうが、イジメが起きることはあまり変わらないのではないかと思う。なにが良いのか悪いのかもよくわからないけれども、まあ敢えて言えば、子どものことを真剣に考えている教師でも、自分の都合しか考えていないような教師でも、結果は大きく違わないのではないか。学級崩壊などという目に見えるものは教師のやりかたで結果は変わるだろうけれども、イジメという目に見えない部分も大きなものは、たぶん変わらない。
 さっきの体験談にしても、その当時の担任は専門が体育の男の先生で、実は子ども思いの「良い先生」だったと思う。夏は、他の授業をつぶしてプールばっかりやっていたし、春と秋は野球ばっかりだったし、冬はサッカーばかりだった。他の学年のときの先生と比べても、 あの人はあの人なりに一生懸命に子どもに向かっていたと思う。PTA活動ばかり熱心で子どもの顔なんて見ているのかどうか怪しげな先生とか、いかにもお仕事だからやってますという先生なんかに比べると、正直良い先生だったと思う。だから、必ずしもその先生は嫌いではなかった。
 にもかかわらず、私は今でも「ガキュウカイ」という言葉を聞くと心臓の筋肉が少々キュッとなる。学校運営のための都合を、学級会の多数決という形で秩序化させる構造。それに反抗する者にたいし、これまた子ども同士の正義の制裁という形で罰する構造。これは、今改めて思うけれども、私の心のトラウマになっている。
 もちろん、イジメの場合は、必ずしも学校や教師の望む秩序に沿っているわけではない。その集団で支配的な秩序がなんなのかは、ケースバイケースだろう。共通しているのは、その秩序が集団の生き残りにとって大事なものになっているということ、そこまでその集団が追い込まれているということ。例えば、勉強のできるものが支配的であれば、いわゆるオチコボレがいじめられるかもしれないし、オチコボレが支配的であれば、落ちこぼれていない者がいじめられるかもしれない。それは、勉強できることが生き残り戦略であれば、できない者は見せしめとして生け贄にされるし、勉強できない者の砦を作っている場合には、勉強できる者はその砦を崩す破壊者としては除される可能性があるからだ。どっちにしても、既成の価値観の中で追い込まれ、なんとか生き延びていくための戦略であることには変わりない。
 
 さて、さかなクンのさっきの話を聞くと、私としては山の間伐の話をしないわけにはいかない。山に杉や桧の苗を植えた後の話だ。山に苗木を植えるときは、1ヘクタールに3000本以上植える。奈良県の吉野地方なんかでは、多いときは1万本も植えるという。間をとって5000本としても、1ヘクタールは1万㎡なので1本あたり2㎡、子ども一人あたりの教室の広さと同じくらいだ。やがて杉の木は10年15年と育っていって、枝を伸ばして隣どうしくっついてしまう。こうなると、押されて曲がってしまう木や枝を伸ばせなくなる木も出てくるし、地面に光が届かないので草が生えなくなって土が流されるようになってしまう。そこで、間伐を行う。カンバツということばを聞いたことがなければ、マビキと言ってもいい。大根やニンジンでもやるアレだ。
 流儀はいろいろあるのだけれども、とにかく、曲がった木や育ちの悪い木なんかを切り倒してしまう。そうすると、残った木は良く育ち、下草も生えていい山になっていく。これを、何年かに一度づつ繰り返して、最終的には苗木のときの10分の1くらいまで切って減らしてしまう。そして、その最後の木は高く売れていく、というのが理想的な林業の姿とされている。実際は、そこまで丁寧に間伐している山は多くないし、間伐しても育てても最後の木はそんなに高くは売れなくなってしまったけれど。
 こうした説明をすると、たいがい「なんで1万本も植えるの? 最初から少なく植えたらダメなの?」と質問される。これは答えははっきりしていて、「良い木」を育てるため だ。良い木というのは、まっすぐで、年輪が細かくて、根本と先の太さが変わらなくて、枝の少ない木だ。最初からまばらに植えてしまうと、枝ばっかりのばして、横に太るから年輪が粗くて、根元が太くて先の細い木ができる。それを防ぐために、わざと窮屈な思いをさせて育てて、負け組をどんどん切り倒して、良い木だけを残してやるのだ。
 「木はなんて可愛そうなんでしょ」てなことを言いたいワケじゃない。それを言い出したら、畑の野菜でも、庭の木でも、花壇の花でも、人間の育ててるものなんてみんなそんなもんだ。ブロイラーのニワトリも養殖場のハマチもみんな一緒。ここで言いたいのは、子どもたちを杉や桧と同じような育て方をして良いのか ということ。そして、今の「イジメをなくそう」という大合唱は、「間伐をしよう」という呼びかけのように聞こえる ということ。
 
 イジメというのはある一面では、真っ直ぐでない木でも生きていく可能性を残している。もちろん、それは真っ直ぐな木や、もっと曲がった木を押しのけていくのであって、それをOKというのではない。けれども、少なくともそういう一面はもっている。でも、イジメ粛正キャンペーンは、曲がった木は根こそぎ切り倒して切り刻んでしまえ、という。イジメは犯罪だから、学校はすぐに警察に電話しろ、告訴しろ という。
 これは、間伐して障害樹を伐採せよ、という話とまったく同じだ。でも、なんで間伐をしなくてはならないのか。それは、そもそも人間が使いやすい木を育てるために、やたらとたくさんの苗木を植えたからだ。最初からまばらに植えてあれば、商品価値はない木がノビノビと育つはずだ。
 間伐というのは、偶然曲がった木があるからするものじゃない。はじめから、そうなることがわかっていて、計画的にする。イジメ粛正キャンペーンも同じで、確信犯だ。いじめっ子が出てくることがわかっていて、それを計画的に抹殺しようとしている。
 しかも、曲がった木が真っ直ぐな木をいじめているときには、バサバサと間伐されるけれども、真っ直ぐな木が曲がった木をいじめているときには、これは伐採されることはない。私が経験したように、学校の都合を多数決で押しつけるような行為は決してイジメとは認定されないし、もちろん告訴されるわけがない。曲がった木、商品価値のない木だけが、間伐されていく。
 
 原生林に真っ直ぐな木はない。商品価値なんてない。白神山地で有名なブナなんて、木偏に無と書くくらいだ。でも、息をのむほどに美しい。これが、命の本来の姿なんだと思う。建築に使う木も、これまでの価値観を1回壊す必要がある。年輪が密で、真っ直ぐで、節がなくて・・・ それはそれで良いことだけれども、そうでない木でも場所によって充分使えるし、しかもキレイだ。
 最近の若い人は、節がある方が好きだという人も多い。山で木を育ててきた人たちにしてみれば、苦労して育てたのだからその価値を認めて欲しいと思うのは人情だけれども、そろそろ価値観を発展させる必要がある。既に、日本の山は手入れ不足が深刻なのだから、曲がった木は曲がったなりに、節のある木は節のあるなりに楽しむのが一番いい。そういう木を、学校にこそ使いたい。
 おもいっきり「ちゃんとしてない」木を使って、「ちゃんとしてない」人間が育つ場所であって欲しい。せめて許容される場であって欲しい。「ちゃんとしてない」ぶんだけ、優しくあってくれれば、自分のしたいことを感じてくれれば、もうブラボーだ。
 
 各地の学校や教育委員会にも、心ある人たちは決して少なくないと思う。学校嫌いの私でも、実は密かに信じている。ただ、国に縛られ、知事にいじめられ、常にクビになる恐怖と隣り合わせなんだから、本当にお気の毒だと思う。せめて、子どもたちのあるがままを見つめる場を作ってほしい。そして、そんな場所には山の曲がった木が最適だ。皆で山に行って、もらってきてはどうだろう。学校の実習として森林組合なんかに相談すれば、よろこんで協力してくれるところもたくさんある。私に相談してもらっても、少しは力になれるかもしれない。
 粛正キャンペーンに全国の学校が染まってしまう前に、微力だけれども、ひとつの突破口になりはしないだろうか。


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  小学校3年生の娘が、いきなり「ちのつながりってなに?」とカミさんに聞いている。カミさんもちょっと驚いてなんやらかんやら言いながら説明している。お母さんとの血のつながりはわかっても、お父さんは?と聞かれたらどう答えようかとオロオロしていたけれども、幸いお鉢は回ってこなかった。
 正確には、血はつながっているのではなく、遺伝子がつながっているだけだ。お腹の中にいるときだって、血液自体は別に流れているのに、なんで血のつながりというんだろうか。血族とか血脈とか血は水より濃いとか、生んだものと生まれたものとの関係は単なる親と子という関係を超えて「血」という連綿と続くものに帰属させられるようだ。
 親と子の関係は、自然の摂理からしても赤ちゃんは育てなくては死んでしまうという事情から理解できる。けれども、長い長い「血」のつながりはどう考えても自然の摂理からは理解できない。もっと社会的な必要から生じているにちがいない。要するに、争いのための基本集団づくりということ。争いではなくて、生産のためだけの集団化であれば血脈にこだわる必要はなかっただろうが、狩りのなわばりや水の権利や何やかんやで争いの絶えないとき、できるだけ結束を固めて裏切り者を出さないために血脈が重視されたのではないだろうか。
 
 今の家族関係には、その両方の面が残っているような気がする。赤ちゃんを育てるための親子関係と、社会の中で争うための血族集団。育てるという気持ちは、ほとんどの場合は説明が必要ない。義務感でも責任感でもなく、赤ちゃんを見ているだけで育てたいという気持ちは湧き出してくる。
 一方で、争うための集団としての家族はなかなか大変だ。世の中が生き難くなればなるほど、その締め付けは厳しくなる。比較的平和で、争わなくても生きていけるときには、その締め付けはゆる~くなる。どっちが良いとかいう話ではなくて、結果としてそうなる。
 江戸時代や戦争中に家族の制度が非常にきついものだったのはご存じの通り。オヤジの権威は今の100倍以上強かった。囲炉裏端の主人が座るヨコザは、お客ですら座れなかったという。まして子どもが座ろうものなら、家からおん出された。それから数十年たって1970年代、高度経済成長を経た日本にはマイホームパパが出現し、家族は仲良し集団に解消されつつあったのだが、それを押しとどめたのは受験戦争だった。争いの形態が変化するに伴って、家父長を中心とした家族制度は、子どもを中心とした受験装置に変貌した。かつての主人の座だったヨコザの地位は、子どもの勉強部屋にとって代わられた。夫婦が台所の片隅に布団を敷いて寝ていても、子どもの勉強部屋は確保された。
 これはもちろん、子どもが大事にされたということではない。過保護であろうがスパルタであろうが、受験戦争に駆り立てられた子どもは、かつて戦場で手柄をたてて一家をもり立てようとした家長の姿と重なる。その後、「ゆとり教育」がいいとか、いや「言うとおり教育」がいいとかいろいろ議論はあるけれど、そんなのは大同小異であって、子どもを現代社会で戦って勝つための「兵士」として扱っているのはおんなじだ。
 
 今、親になっている世代は、受験戦争の勝ち組か負け組だ。必死に勝ち抜いてきた親は、子どもにも勝ち抜いてもらいたいと思うし、勝てなかった親は子どもには勝ってもらいたいと思う。しかも、勝ち負けは受験だの単純なものではなっている。受験だけならば早々に勝負を降りてしまう生き方も考えられるのに、多種多様な子どもを「開発」するツールやメソッドがあふれかえり、そう簡単に負けさせてくれない。多様化と言えば聞こえはいいが、生き方自体の多様化ではなく、勝ち抜くための手段の多様化なのである。
 こんな時代に子どもを育てるプレッシャーはとてつもなく大きい。なにがどうなっても、それなりに生きていける世の中ならば、子どもが死なないように助けてやれば親の務めは果たしていると言える。子どもが育っていこうとするのを、支えてやればいい。ワガママな子はワガママなりに、気の弱い子は気の弱いなりに、それなりに育っていく。少しは軌道修正も必要だろうけれど、親がどうのこうの言ったからといって急に聖人君子になりはしない。
 ところが、道を踏み外したら生きていけないような社会では、そんな悠長なことを言ってられない。鳥の親が飛び方を教えるように、厳しくしつけてあるべき形に育てる必要がある。それを達成できない子どもは見捨てられる。飛べないなら飛べなくてもいいんじゃないの なんてことは絶対に言ってくれない。だから、親に「子どもはこう育てなくてはならない」というプレッシャーをあたえれば、必然的に幼児虐待はおきる。ライオンが子どもを谷に突き落とすなんていうのは、立派な虐待じゃないの? 餌をとって身を守る、あるいは集団生活に適応するという点では、動物はきわめて厳しいスパルタ教育をするし、それで命を落とす子どもも数知れずいるはずだ。
 もちろん、それと同じことをしていいと言うのではない。ではないが、そういう心のシステムが働いているのではないかと思ってしまう。子どもが「あるべき」からはずれていると、ムカムカっとくる衝動がわき起こってくる。それを押さえられるか押さえられないかが、虐待になるかならないかの分かれ目であって、心の中では同じなのではないか。
 幼児虐待の件数は、表沙汰になっているだけで3万5千件とかいわれている。0~4歳の子どもの人口が540万人程度だから、表沙汰でない件も多いことを考えると、子どもの100人にひとりは虐待されているということだろうか。う~ん 言葉もない。イライラの度が過ぎる程度のものから死なせてしまうものまで事情は千差万別だから、ひとくくりにコメントはできないのはわかる。が、この数字を見ると、やはりさっきの仮説が正しいのではないかと思ってしまう。
 
 熊本県の慈恵病院には「こうのとりのゆりかご」という小さな窓口がある。俗に赤ちゃんポストと呼ばれている。親が自分で育てられない赤ちゃんを預ける場所。これは大きな反響をよんで議論百出した。それから2年間で、42人の子どもが預けられたという。どんな事情で預けたのかはわからないが、とりあえず42人の命が救われたことは良かったと思う。いや、本当に良かったかどうかは42人の彼ら彼女らが後日自分たちで判断することだけれども、少なくとも、判断する機会だけは奪われなかった。
 ここへ子どもを置いていった親たちは、おそらくお釈迦さんの言葉に従ったわけではないと思うが、仏教では親が我が子を思う気持ちを「執着」としている。シュウジャクと点々をつけて読む。要は、人間の心の中にある不幸の元だ。子煩悩なんていうと、子どもをかわいがる優しい親父のことみたいだけれども、本当は全然違う。我が子をかわいいと思ってしまうことが、不幸の始まりだというのだ。
 それならば、過保護すぎてかえって子どもを不幸にしてしまう親のことを言っているのだ、と思うと必ずしもそうでもない。もとより私はお坊さんではないので出過ぎた解説はご容赦いただきたいが、敢えて言うと、我が子だけ、自分の子だけは、この「だけ」が不幸のもとのようだ。別の言い方をすると、自分「の」子どもという考え方、もっと言うと、子どもが自分の所有物だという感覚。それは、自分だけは大事にしてほしいという思いの裏返しでもある。
 そう思うと、慈恵病院に子どもを預けていった親は、自分の執着よりも子どもの命を優先したということなのかもしれない。そして、そこにかすかなヒントが潜んでいるような気がする。子どもは子どもなんだ、自分とは別の生き物なんだ、という一種のあきらめを、あらかじめしておくこと。自分は子育てなんて上手くできるわけがない、とあらかじめ観念しておくこと。
 夜回り先生・水谷修さんも、親は子育ての素人だと喝破している。考えてみたらアタリマエのこと。生まれて初めてか、せいぜい2回か3回しかやらないことなのだから、素人に決まっている。死なない程度に助けることは、もしかしたら脳みそにプログラムされているかもしれないけれども、それ以上の複雑怪奇な現代社会での子育ては、まるっきりの素人。さすが、するどいなあと感心した。ま、そういう体験をイヤというほどしてきたから言えるのだろうが、私たちも実は結構体験してきているハズなのだ。体験しているけれども、それを率直に素人ですと言えなくて、なんとかしようナントカしようともがいて苦しんで、それが虐待になっている。たぶん、そういうことではないのだろうか。
 
 話は、子ども部屋に戻る。子ども部屋をどうするか、というのは家のプランを作るときにいつも問題になる。6畳の子ども部屋を人数分、というのが70年代後半からのスタンダードだ。そして、その子ども部屋は玄関から入ってすぐの階段につながっていて、親の顔を見なくても家を出入りできるようになっている。
 これこそが、子どもの非行の原因だ! という大騒ぎがいつから始まったのか。時期は定かではないが、「家をつくって子を失う」という本が1998年に出版されたのが大きなエポックになったと思われる。また「子供をゆがませる「間取り」」が2001年に出版され、オタク系の犯罪は家の間取りのせいだということになってきた。
 今では、10人中9.5人くらいは大きな子供部屋はいらないという。ベッドと着替えだけは個室にして、勉強は共有スペースでというようなことを言われるケースが非常に多い。非常に多いのだが、実際はどうなるかというと、すったもんだしたあげくに、ほとんどの場合そこそこの子ども部屋ができあがる。建前と本音は別なのだ。非難しているのではなくて、そういうもんだということを知ってほしいから書いている。
 どっちかというと非難したいのは、極めて限られたデータで「間取りが非行を生む」と決めつけた大先生たちのほうだ。先ほどの「子供をゆがませる「間取り」」の内容紹介にはこう書いてある。
<新潟少女監禁事件、酒鬼薔薇事件、金属バット両親殺害事件…。凶悪事件の病巣は、彼らが育った家の「間取り」にあった!>
 ホントかよ。たったこれだけの「症例」でああだこうだ言えるモンなのか? そんな疑問も感じつつ、大事なことを見落としていませんか?という思いが強くなる。子ども部屋が問題なんじゃなくて、子ども部屋に何をさせようとしたのかが問題なんじゃないの?
 子ども部屋には、親の執着、その執着を生み出した社会の構造、その構造を生み出した利権と欲望、そんなものが込められている。呪いの部屋みたいなそんな場所に閉じ込められたら、子どもだってそりゃ影響がでるだろう。問題は、部屋のあるなしや大きさではない。どんな気持ちでそれを作るのか、あるいは作らないのか だ。
 
 
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  ここ数年、家を建てたいという人たちが盛んに「ダンネツハナンダンネ」と言い始めた。直訳すると「断熱材は何ですか?」という意味らしい。とくにダンナのほうがこだわっていて、「ウチデスカ ソトデスカ」と豆まきみたいなことも言う。ちなみに、私のよく行く天河弁財天では2月2日に鬼を神として迎えて、節分には「鬼は内 福は内」と言うそうだ。こういう包容力がこの神社の魅力なのだが、建築界はそうはいかないらしい。ウチとソト、あるいはウチ同士やソト同士の争いが日夜続けられている。
 あんまり泥仕合が続いているので、最初に結論を言ってしまうと、木造住宅の場合は内断熱も外断熱もない。無い。存在しない。この世に無い。木造住宅の断熱で内断熱とか外断熱とか言っているヤツは、言葉の意味すら理解できていないのであまり相手にしない方がいい。
 木造住宅の断熱は、外張り断熱か充填断熱というもの。柱の外側に貼り付けるのが外張り断熱で、柱と柱の間に詰め込むのが充填断熱。それを知ってか知らずか、ウチだソトだと騒いでいるのは、野球の試合を見ながらレアルマドリードとバルセロナの応援合戦をしているようなもんだ。
 
 じゃあ外張り断熱と外断熱は何が違うの?という話しになるんだけれど、その前に大事な問題がある。断熱は必要か?という根本問題だ。いったい、木造住宅に断熱材は必要なのか。
 断熱材のことを少々聞きかじってきた方は、なんだこいつオカシイんじゃないかと思うかもしれない。断熱がなかったら冬は寒いし夏熱い。だから光熱費が高くなってエコじゃない。と、洗脳 じゃなくて刷り込み じゃなくて教えられてきたのだから。
 なるほど、「昔の家は寒いし熱いしひどいもんだった」というのはウソじゃない。朝起きたら顔に雪が積もっていたなんていう話もあるくらいで、とくに寒さに対しては過酷な環境だった。かの有名な「家のつくりやうは夏をむねとすべし」という吉田兼好の教えを知ってか知らずか、日本の家はだいたい夏向きにできていたから、真冬は即死しない程度の防寒能力しかなかった。
 ただ、その寒さは断熱がなかったせいなんだろうか? それが問題だ。火事のところでも書いたように、昔ながらの日本の家は、壁がほとんど窓だ。その窓は紙一枚か、せいぜい雨戸があるくらい。しかも、すきま風は入り放題で、窓以外にも色んなところに穴が開いていて空が見えたりした。つまり、断熱材がどうのこうのという以前のレベルだったということだ。今の家ならば、窓を半分くらい開けっ放しにしたようなもんだ。これでは、断熱性能もへったくれもない。
 では、昔の家の窓を上等にしてスキマをふさいだらどうなるのかというと、壁はタダの土壁で窓だけはちゃんとふさいだ状態だと、外は0℃以下でも中は10℃くらいを保っていたりするデータがある。土壁の厚い蔵だと、もっと性能はいい。土壁なんて断熱性能は全然ダメだから、こりゃダンネツ教の教えに反する。こまった。
 実際に部屋の外と中の温度変化を計ると、断熱性能とはだいぶん違う結果が出ることが多い。何でかというと、断熱以外に「蓄熱」と「気化熱」があるからだ。蓄熱というのは読んで字のごとく熱を蓄えておくこと。断熱材が自分で熱を貯め込んで反対側へ熱が伝わるのを遅くする。断熱がバリアーならば蓄熱は凹むことで衝撃を吸収するバンパーのようなものだ。断熱と蓄熱のバランスで、中と外の温度差は決まってくる。
 蓄熱はすごく大きいけれども断熱はさっぱりなのがコンクリート。どんどん熱を吸い込んでいくので、夏は石焼き芋の石になり、冬はクーラーバッグの中の保冷剤になる。断熱はいいけれども全く蓄熱しないのがグラスウールなどの軽い綿状のもの。温度が急激に大きく変わると、効き目が悪い。夏の日光にはあまり効果がないし、冬に暖房器具を消すとあっという間に室温が下がっていく。
 ソフトボードとかセルロースファイバーなど、バランスのいい断熱材もあるなかで、土壁は断熱はコンクリートよりはマシで、蓄熱はコンクリートよりもちょっと小さいという位置にあって、そこそこの性能を発揮している。同じようにあんまり断熱はよくないけれども土壁よりちょっとマシで、蓄熱は土壁よりちょっと落ちるのが木。ログハウスのような木材そのものの壁も、だから数字以上に性能がいい。
 土壁やログハウスが数字以上の性能を発揮するもうひとつの理由は「気化熱」だ。中学校の理科を思い出せる人は・・・いるわけないか。では復習です。6畳の部屋に、水10gはいったお猪口をおいておきました。その水が蒸発するときに、まわりの空気から5.5kcalのエネルギーをブンどりました。(これが気化熱) 5.5kcalとられた空気は、当然温度が下がります。6畳の部屋にはだいたい24kgの空気があるので、1kgあたりでとられたエネルギーを割り算すると0.23kcalになります。空気1kgを1℃下げるのには0.24kcal必要なので、なんと、10gの水が蒸発するだけで、6畳の部屋の温度は約1℃下がることになります。
 わかったかな~。水が蒸気になるときにまわりの空気から熱を持ち逃げしてくれるので、空気の温度が下がる という仕組み。そう、夏の打ち水で気温が下がるというアレ。最近だと、夏になると市役所の玄関なんかで霧吹きしているドライミストなんかをよく見かける。ドライミストの中に入ってみると、この気化熱の効果をバッチリ体感できる。
 で、この気化熱と断熱材の何が関係しているのかというと、もともと水分をたくさん含んでいる断熱材は、熱くなると水分を蒸発させて気化熱を持ち逃げし、寒くなると蒸気を水に戻して持ち逃げしていた熱を空気に戻してやる。熱を蒸気という銀行に預けておくようなもので、これまた断熱性能上の性能を発揮することになる。土壁や木は、水分をたっぷり蓄えておけるので気化熱効果はとってもgoodというワケ。
 
 何の話だったかというと、断熱は必要か?ということだった。結論は断熱と蓄熱のバランスがよくて水分をためておける材料が良い ということなんだけれども、なんでこんな疑問を出したのか、もうちょっとシツコク考えてみたい。私が何に引っかかっているのか。
 どうしても気に入らないのが、何かというと登場する「エコ」ってやつだ。質問1。「エコ」は何の略でしょうか? 質問2。「エコ」は何の役に立つのでしょうか?  答え 「エコノミー」の略で、家計の役に立ちます。 っていうのが本音だろう。
 いったい誰が本気で生態学(エコロジー)を研究して地球環境のために断熱を考えているんだろうか。冷暖房費が安くなる というのが「エコ」でしょ。普通は。もし本気で地球環境を考えるんだったら、古い家を手直しして住んだ方がいい。(私にとったら自分のクビを絞めるような話だけど)家の新築なんてしないに越したことはない。建てること自体がモッタイナイし、しかも、「エコな家になったから もっと快適に」と言って結局以前より冷暖房を増やしていたりする。エコポイントなんていうのも同じで、エコポイントが付くから大型テレビに買い換えよう てな具合に電気の消費量はどんどん増えていく。
 1972年から30年間で家庭での電力消費量は4倍に膨れあがっている。中でも顕著に増えているのがエアコン。72年にはほぼゼロだったのが、今では全体の4分の1を占めている。それと、電子レンジやらウォシュレットの類やらの新手の家電が増えてきたのも大きい。エコだエコだといって、どんどん買わせ、どんどん電気を使わせるという家電メーカーと電力会社の企業戦略にまんまと乗せられているのが、今の「エコ」ってやつなんじゃないの? 私にはそうとしか思えない。本気でエコを考えるのなら、新型エアコンの代わりにしゃれた扇子でも買うべきでしょ。
 その「エコ」が家づくりにまで進出してきたから、「とっても胡散臭いなあ」と思って見ている。そうしたら案の定、外断熱なんてことを言い始めた。やっぱり。こいつら怪しい。断熱のイロハも分かっていないくせに、エコだ断熱だと大騒ぎしているなんて。
 
 ということで、外と内の話にたどり着いた。なんで外断熱じゃなくて外張り断熱なのか。内断熱じゃなくて充填断熱なのか。
 外断熱を一般の人に知らしめたのは、「日本のマンションにひそむ史上最大のミステーク」という一冊の本だった。コンクリートのマンションには外断熱のほうがいいのに、日本のマンションは内断熱ばっかりだ。という話。この本はたしかに合理性があった。コンクリートの壁の外側に断熱材を貼り付けるのか、内側に貼るのか、これが問題だった。コンクリートというのは、さっきも書いたように断熱が悪すぎて蓄熱が良すぎる。だから、外の暑さ寒さの影響をすぐに受けて、しかも一度冷えたら暖まりにくいし、熱くなってしまうとなかなか冷めない。冬の底冷えや、夏の夜までムンムンする熱気は、おぼえのある人も多いはず。だから、コンクリートの場合は、外側に断熱材を貼って外気の影響を受けにくいようにすることは、たしかに合理的なのである。
 ところが、だ。木造の建物の場合、コンクリートの壁に当たる部分には何があるだろうか。木があるって? う~ん惜しい。木もあるけれども、ほとんどは何もない。というか空気だ。柱と柱の間の空間、がらんどう、つまり空気。空気はコンクリートの正反対で、極端に断熱が良く蓄熱はほぼゼロ。こういうものの外側に断熱を貼ったからと言って「外断熱」とはいわないよ と学会で決められている。あくまでも、コンクリートのような蓄熱する部分の外に貼るから外断熱、中に貼るから内断熱という。これは私が言っているんじゃなくて、日本建築学会が言っている。
 まして、柱と柱の間の空間に断熱材を詰め込んだものを「内断熱」と呼ぶに至っては何をか言わんや。ま、あえて言うならば中断熱って呼びたいところだけれども、実際は充填断熱という。なのに、インターネットで内断熱と検索すると、出るわ出るわ4万件以上もヒットする。そのほとんどが言葉の意味を知らないでたらめサイトということだ。悪意はないのだろうけれど。
 
 要するに、こうした意味も分からずに大騒ぎをさせることで、たくさんある家の機能の中で断熱をクローズアップさせるという販売戦略だったということだ。住宅販売業界であまり新味のある話題がないときに、あたかも革命的な技術革新かのように「エコ」の大義名分に乗せて「外断熱」騒ぎを演出した。そういうことだ。
 技術的な結論を言ってしまえば、外断熱といわれる外張り断熱でも、内断熱と言われる充填断熱でも、ほとんど変わりはない。良い材料を使って良い施工をすれば、良い性能は発揮する。ただし、欠点になりやすい部分はそれぞれで違うから、材料選定や施工上の注意は別個に考えなくてはならないが。
 大事なことは、そうした技術的な問題ではなくって、「エコ」とか「外断熱」とかの見せかけの正義に騙されないこと。「エコ」で快適で常春の室内を実現すると、結局電気をたくさん使うことにならないか。そもそも、あまりにも快適な室内環境になってしまうと、人間はどうなってしまうのか。子どもたちはどんな体質になってしまうのか。
 その答えは、現在の子どもたちの中に既に存在している。体温が35℃で汗をかけない子どもたち。体温計メーカーのテルモのホームページには、こんなことが書いてある。
 
 近ごろ、保育園や幼稚園への登園後、遊ばずにじっとしている子や、集中力に欠け、落ち着きがない子、すぐにカーッとなる子が目につくようになりました。おかしいと思い、保育園に登園してきた5歳児の体温を測ってみますと、36℃未満の低体温の子、そして37.5℃近い高体温の子どもが増えていたのです。
 調査によると、約3割の子どもが、低体温、高体温であることがわかりました。また人の体温は朝低く、午後から夕方にかけて高くなるという変動をくり返し、その変動幅は1℃以内が普通とされていますが、朝の2時間だけで1℃以上変動する子が12%近くいました。それとは逆に変動のない子も7.2%いました。
 
 その原因とされているのが、・運動不足 ・遅寝 ・睡眠不足 ・朝食の欠食または不充分(排便のなさ) ・エアコンを使いすぎる環境 ・テレビ 、ビデオ視聴やゲーム時間の増加。
 人間の汗腺は3歳までに発達するそうで、それまでの幼児期にどんな環境で育ったかが大きく影響しているという。同じ日本人でも、寒い地方と熱帯生まれとでは汗腺の数が3割以上違う。だから、幼児の時期に常春の快適な環境に浸っていると、汗をかけずに低体温や高体温ですぐに熱中症になる子どもに育ってしまう可能性が高い。子どもを守るというのは、何も子どもに楽をさせるということではない。耐えることを教えるのも大事だし、なにより耐えられる体を作ってやることは親の務めだ。
 
 と、こんなふうに書いたからといって、断熱は全然いらないとか、エアコンは打ち壊せということじゃあない、もちろん。ウチでも、一番暑い時期の風呂上がりはエアコンつけるし、寒い時期にはホットカーペット(電磁波カット)くらいはつける。断熱だって、エコに騙されさえしなければ良いに越したことはない。とくに屋根の断熱と西日対策は、何もしないと家の中に居られないくらい暑くなるから、しっかりやっておきたい。断熱にプラスして、暑い空気を流して捨てる二重屋根とか壁通気も有効だ。普通の二重屋根はコストアップするので、とっても簡単な方法もあったりする。
 それと、断熱材で忘れてはいけないのは、防火性。絶対に燃えないというのは無理でも、ない方がマシという防火性能では悲しい。ちなみに、この悲しい断熱材はグラスウールで、たくさん入っていればいるほど外壁の防火性能は悪くなる。
 
 そんなことも考えながら、子どもたちを守る家の断熱は考えたもらいたい。
 
 
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  火事編その1では、家の中の火事について書いたので、今度はトナリの火事が燃え移らないようにすること。または、こっちの火事がトナリに燃え移らないようにすること、について。
 
 消防白書(平成20年)によれば、火災で亡くなる方は1日に5.5人、年に2005人もいる。そのうち575人は自分で火をつけて自殺してしまった人だという。20代から50代に限ってみれば約半分くらいを放火自殺が占めている。割合で多いのはやはり高齢者で、65才以上の方が814人で6割近い。15才以下の子どもも78人が犠牲になっていて、火事の怖さが実感できる。
 けれどもこれは、子どもの命を奪う最大の原因ではないことにも注意。こんどは厚生労働省の資料を見てみると、(こっちは15歳以下ではなく14歳以下だったりカウントの仕方がちがうので数字が一致しないけれども)死亡原因で一番多いのは出産時の問題や先天性の病気。次が転落や溺死などの火事以外の家庭内での事故が197人。ほぼ同じくらいで交通事故が191人。ちょっと離れて火事が56人。なんと自殺が47人(19歳以下になると500人以上)。
 家と車というファミリーの象徴が子どもの命を奪う原因になっているというのは、皮肉というか悲しい話なのだが、こういう資料を見ておくと何に気をつけたらいいのかよくわかるので、見ているだけで気分が落ち込んでくるけれども、やはり目は通しておきたい。詳しいデータは、厚生労働省のホームページに「人口動態統計 年報」というカタックルシイ統計があり、その中の「家庭内における主な不慮の事故の種類別にみた年齢別死亡数・構成割合」という長ったらしい名前で掲載されている。
 
 では、元に戻って、トナリの火事。
 要するに、外壁と屋根と窓をどうするか、という話しになる。それさえしっかりしていれば、トナリが燃えてもこっちは平気だ。逆に、こっちが焼けても中だけで済む。よくある住宅地の家ならば、30分持ちこたえるというのが基準になっている。おっと、また30分が出てきた。前の章でも「30分」というのが何度も出てきたのを憶えていたら優等生だ。さてさて、なんで30分なんだろう。
 これは、割と単純で30分以内には消防車が来ることになっているからだ。さっきも見た消防白書によると、放水が必要なくらいの大きな火事の場合、97%が通報から20分以内に放水が始まって、43%が30分以内には火を消してくれる。というわけで、1年間に1万5千回以上も放水車から盛大に水を放っているのだから、消防士さんも大変だ。
 などと感謝しつつ、でも火事にならないのが一番だから、どうやったらトナリの火事をもらい火しないかということと、ウチの火事をトナリへうつさないかということを考えてみよう。まずは、トナリ→ウチの場合。
 もらい火で一番危険なのは屋根。火の粉が飛んできて、少し離れていても燃え移る可能性がある。 日本昔話のような茅葺き屋根だったら、屋根の上からたき火が始まってしまう。しょちゅう大火事がおきていた江戸の街では、ほとんどの家の屋根は板だった。木の板。今どきの常識だと板の屋根なんて犬小屋かと思うけれども、ちょと昔は普通のことだったらしい。飛鳥板葺宮という7世紀の皇居がある。かの有名な蘇我入鹿が暗殺された場所だ。このへんが日本での板葺の屋根の流行の発端のようだ。平安時代以降は、より高級なこけら葺というものに進化して国宝級の建物もこれで造られた。修学旅行でおなじみ、京都の金閣や銀閣もこのこけら葺。こけらという字は柿にそっくりなのだが、点の打ち方が微妙に違うというへんてこな字、なんて言う話はここでは関係ないからおいといて、要するに板葺というのは高級低級に関わらず、犬小屋じゃなくて多くの建物に使われていたということ。もちろん、高級建物な板葺はこけら葺のような高級な板葺で、庶民の家はタダの板を並べただけの板葺だったはずだ。
 ところが、江戸のように世界有数の大都市になってしまうと、とにかく良く燃える。前の章でも少しでてきたが、3年に1回は大火事がおきていたというからスゴイ。さっさと瓦屋根にしてしまえば少しはマシだったのだろうに、殿は庶民が贅沢をするのが大嫌いだったから、長いこと瓦屋根を禁止していた。その「功績」もあって、1657年の明暦の大火では10万人以上の人が犠牲になったともいわれる。それから60年を過ぎたころの享保の改革で、やっとこさ「屋根は瓦にしろ」ということになったらしい。言ったのは、かの有名な大岡越前守だとか。
 それでも、瓦は高価だし一気に普及することもなく、50年ほど後の1772年には目黒行人坂の大火がおきてしまう。ただしこの頃になると江戸市民は火事慣れしていたこともあって、死者は1万5千人くらいだったらしい。120年間で、犠牲者を一桁減らすことに成功している。この火事は放火事件で、犯人を捕まえたのは鬼平犯科帳の火付盗賊改役・長谷川平蔵の先代だった。
 さらに30年ほどして、1806年に丙寅の大火というのがおきるが、このときの死者は1200人ほどで、これまた一桁減らしている。燃えるのは同じように燃えているのだが、逃げ方が上手くなったのと、燃え広がるスピードが変わったのだと思われる。都市計画の問題とか、いろんな原因が考えられるけれども、瓦屋根が徐々に増えたというのも要因の一つだったのではないだろうか。
 今では、瓦の他にも燃えにくい屋根材料はいろいろあって、不燃材料とか飛び火試験とかの認定をとっているものを使うことで、降りかかる火の粉を払うようにしている。
 
 しかし、屋根だけ対策しても燃えることは燃える。よく燃える。だって、江戸時代の建物は壁のほとんどが窓で、その窓は紙でできている。これが燃えない方がおかしい。燃え広がりにくくする、燃え広がる速度を遅くする、逃げやすくするという政策はあっても、燃えないようにするという発想は江戸時代には見あたらない。当時の建築でも蔵という防火の建築はあったのだけれども、そんなものに住むというのは論外だったわけだ。
 それが、決定的な発想の転換になるのが関東大震災。なにもかも焼け尽くされた後に、数少ない耐火建築の残骸が残っていたものだから、やはり耐火はスゴイ、コンクリートは燃えないぞ、ということになった。ということで、1920年代の東京復興は耐火建築が主役になる。つまり、屋根だけじゃなくて壁も燃えないし、窓は小さくて紙じゃなくてガラスが入っている。このことは、結果として高層建築を生みだしかえって多くの犠牲者を出す結果にもなったのは前に書いたとおり。けれども、同じ規模の建築で比べれば、江戸時代からの紙でできている家よりも火事に強いのはアタリマエ。
 こうした耐火建築のまねをしたものが木造モルタルというやつで、これまでは柱の間に土壁を塗っておしまいだったのに、その外側にモルタルを塗るようになった。たしかに、何もしないよりは燃えにくい。とくに、中身が土壁だったらなかなかのものだが、最近では土壁を使わないので、モルタルを2センチ以上塗りなさいということになっている。このモルタル壁は見た目がきれいなのと何十年かはメンテナンスフリーなので私はよく使のだけれど、最近はあまり見かけなくなった。代わりに世の中を席巻しているのはサイディングという既製品のボードで、これも防火認定品は30分は燃え移らないということになっている。
 
 こうして関東大震災以降、壁も燃えにくい建物が増えてきた。窓も、江戸時代のような紙ではなくてガラスになった。しかし、いくら紙からガラスになっても、窓が弱点になることは変わりない。そこで、特にリスクの高いところでは防火戸というものにしなさい、ということになった。ガラスに金網が入っているものを見たことがあるだろうか。あれは、泥棒対策じゃなくて防火のために入っているというのは案外知られていない。火事の熱でガラスがパリンといっても、炎がメラメラと入り込むような大穴が開かないようになっているのだ。(泥棒さんにはガラスが飛び散らないのでかえって好都合らしい。)
 郊外の住宅地ではここまで求められることはあまりないが、大阪市内とか都市部では住宅地でも窓は防火戸にしなくてはならない地域もある。正確に言うと、準防火地域というところでは非常に規制がきつくなるので、注意が必要。特に、3階建てになるとモウレツにきつい。
 準防火地域でないほとんどの場所は、法22条地域といって、一般の住宅の場合は屋根と外壁だけが規制される。さらに、田舎に行くと22条地域ですらなくなって何も規制のない場合もある。ここまで行くと建築確認申請すらいらないこともあったりするのだけれど、これはレアケース。
 逆に、駅前のような場所だと防火地域というのもあって、ここは3階建て以上か100㎡(約30坪)以上の建物は耐火建築物にしなくちゃならない。なので、木造住宅はほぼ無理。いや、実は木造でも耐火建築を作る方法が最近になって開発されているのでできないことはないんだけれども、少なくとも木の構造が目に見えるような木の家は無理。というわけで、ここでは、法22条地域と準防火地域について書いている。
 ウチって何地域なの? と疑問に思ったら、市役所に電話して聞けば教えてくれる。気の利いた市町村ならばインターネットで公開しているところもある。もし今住んでいるが防火地域だったら、もし今の家が木造だったとしても、次に建て直すときは2階建て以下で30坪以下で、なおかつ規制の厳しい木造にするか、耐火建築にするかしかない。どうしても木の家にしたいときは、奥の手で売っちゃうという選択肢もある。防火地域はだいたい繁華街で土地の値段が高いから、売り払って少し郊外に引っ越せば、土地と建物の代金を払ってもおつりが来るかもしれない。
 
 話があっちこっち行ってしまったので、準防火地域の話にもどそう。家を建てようと思った場所が準防火地域だったら、さっき言ったように窓は網入りになる。(ちょっと高価な網無し防火もある) 窓以外の場所はどうなるかというと、これは2階建てと3階建てで大違い。2階建ての場合は色々あるけれども、法22条とそれほど大きくは変わらない。そうそう、軒裏(外から見える屋根の裏側)に木は使えない、というのは違うところか。
 準防火地域の場合は、都心部に近くて3階建てになる可能性が高いから、3階建てのことを書いておこう。これは結構きついしややこしいので。
 準防火地域で木造の3階建てを建てるには、法律の上では三つのルートがある。私たちの用語では、イ準耐と省令準耐とロー1準耐という。コリャなんだろう。やっぱり、ややこしそうだ。
 イ準耐というのは、家の外側は法22条とそれほど変わらないのだけれど、家の中の木の部分を徹底的にカバーをしなさい、というもの。床板と腰壁以外は木を見せることはできない。これだと、木造でも何造でもあまり違いがわからなくって、木の家にはなりにくい。大阪市内なんかで見かける3階建ての木造はほとんどこれ。
 省令準耐というのは、家の中は規制を受けない代わりに、外壁や窓を厳しくしたもの。特に、窓がきつい。あまりにもややこしいので簡単にしておくけれども、お隣との敷地境界から1m以内は小さい小さい窓しか開かない窓しか作れない。1m以上離せばちょっと大きめの窓を作れるけれども、、窓の大きさの合計が壁の大きさの何%までという総量規制があって、とにかく窓が作りにくい。もともと広い敷地じゃないから3階建てにするのだから、お隣から1mも離して窓を作るってこと自体に無理がある。そんなわけで、内部は木の家を満喫できるけれども、窓の小さいうっとうしい家になりやすい。
 最後に、ロー1準耐だ。専門の人がこれを読んでいるとしたら、エッと思うかもしれない。実は、ロー1準耐といのは、法律上は存在するけれども実際に建てられることはまずない という代物だからだ。どういうモノかというと、外壁は耐火、屋根は準耐火、窓は防火にすることで、内装も窓の大きさも規制しないというもの。これなら、好きな方にプランできるのだが、なにせ木造で耐火の外壁というのが無理だった、これまでは。ところが、数年前に木造の骨組みの外側に特殊なモルタルを塗ってコンクリート並みの耐火構造にするというスグレモノが開発された。
 おお、これでロー1が木造でできるじゃないかと喜んだ私は、さっそくそれで家を設計した。ところが、確認申請を審査機関に持って行っても「???」てな感じで、門前払い。話も聞いてくれない。それではと、建築基準法を決めている国に聞いてみようと、外郭団体である日本住宅木材技術センターに電話してみたが、「ロー1は実際に建てられたことなんてないんじゃないですか。」というお返事。同センターのホームページにはロー1の図解もあるのに、「何となく書いてみたけれども実際にどうやって作るのかは分からない」という頼りになる回答だったのである。
 そもそもこの耐火壁を開発した会社も、開発したものの使い方は考えていないし、八方ふさがりになってしまった。ところが捨てる神あれば拾う神ありで、2軒目に訪ねた審査機関が相談に乗ってくれた。そこで、ここはこうしようとか、その部分はこう処理しますとか、何ヶ月もかけて考えては相談に通って、ようやくOKをとった。だから、私の建てているロー1準体の木造3階建ては日本初ではないだろうかと、密かに思っている。
 とにもかくにも、この道が開けたので、準防火地域でも木の家は可能になった。
 
 と、こんなうようなことを考えながら、火事が燃え広がらないような家を作らなくてはならい。結構面倒だし、予算もかかるし、制限もされる。でも、最初のほうに書いたように火事で死ぬ人は少なくない。だから、これは構造強度同じでちゃんと考えて作りたい。
 それと、外壁や屋根の耐火性には断熱材も影響するんだけれども、断熱は大きなテーマなのでそっちの章でまとめて話をしようと思う。
 


 
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  阪神淡路大震災を経験した人ならば、地震の恐怖と同じくらい火事の怖さを覚えているだろう。63万㎡、7千戸近くが焼け落ちた。出火元は285軒と言われていて、その他の6500軒以上は類焼だ。ここでも、木造住宅が燃えさかる映像を目の当たりにして、木造は燃える、木造は怖いというイメージを心に焼き付けた人も多いはず。
 ところで、地震で火事になる場合、何が原因だろうか。ぱっと思いつくのはストーブとガスコンロだろうか。特に阪神淡路のときは冬だったから、石油ストーブなんかが多かったような感じがする。しかし実際は、半数は原因不明、3割は電器器具、8%がガスと石油、4%がたばこやマッチ、などととなっている。((財)消防科学総合センターより) 火事が怖いからオール電化にしましょう、というのはどうなんだろう。
 
 それはともかく、木造は燃えるという、全国民があまねく堅く信じている「定説」をどうするか、だ。たしかに、よく燃えているところを目撃することが多いだけに、ちょっとやそっとじゃひっくり返せそうもない。前の章で戦った10センチの木の柱とコンクリートの柱を燃やしたら、今度はさすがに木に勝ち目はなさそうだ。う~ん、困った。
 まあ、それでもとにかく燃やしてみようか。10センチ角の木の柱と同じ大きさのコンクリートの柱を、でっかいバーナーで30分あぶってみよう。コンクリートの柱は見たところ何の変化もおきないけれど、木の柱はどんどん黒く焦げていく。ときどきチラチラと炎も上げながら柱は真っ黒になってしまった。30分たったので、バーナーを止め真っ黒な木の柱を観察するために、焦げたところで真っ二つに切ってみる。すると、案外黒いところは表面だけで、芯の方はもとのままの木が残っている。焦げた深さはだいたい2センチくらいだろうか。
 次にコンクリートの柱を切断してみよう。と、手を触れたとたん アチチチ。熱くてさわれない。木の柱の焦げていないところは素手でもさわれたのに、コンクリートの柱は炎の反対側でも熱い。これは、火事の起きた部屋の隣の部屋も高温になって蒸し焼きになるということを意味している。建物は残るけれども、中の人間は蒸し焼きになる。
 それに、ほとんどの人はコンクリートは絶対に燃えないと思っているけれども、600℃以上になると強度が低下して、650℃から崩壊を始める。もちろん木だって650℃になってしまえば燃えるけれども、コンクリートだってもう使い物にならない。さらに言うと、コンクリートの表面は火事になると爆裂することがある。鉄筋がむき出しになって火にあぶられ、事態はやたらと深刻になる。
 
 この火事編のネタ本をばらしてしまうと、長谷見雄二先生の「火事場のサイエンス」という本だ。少し引用させていただく。「耐火建築」というモノについて、頭の中をひっくり返してくれる。
 
 今日でも、木造の旅館で大きな火事があったりすると、調査も始まる前から、木造だったからこのような惨事になったのだと報道されたりするが、ことほどさように、木造が火に弱いというテーゼは、私たちの頭脳の奥深く浸透している。
 日本で都市の不燃化が本格化したのは、おおむね、1960年代の高度経済成長期以降のことであるが、木造をやめて「耐火建築」にすればそれで安全であるかというと、それ以降、何年に一度かは、大勢の犠牲者の出る火事が発生し、大阪千日デパートの火災(1972)では118人の犠牲者が、熊本大洋デパートの火災(1974)では103人の犠牲者が出た。(中略)戦災復興で建ち並んだ「木と紙」の町屋で火事を出して町中まる焼けになっても、そう多くの犠牲者が出ることはなかったのに、「耐火建築」で火事になると、多くの死者が出ることになったのである。(9頁)

 「耐火建築」で大火を撲滅しようとした目的は、よく考えれば、市民の人命安全確保というよりは、都市の社会資本・資産の保護にあったと考える方が自然である。火事で丸焼けになってしまったりすることのない都市があってはじめて、大規模な資本の投下や計画経済が可能になるのであって、耐火建築化と建築の大規模化・高層化は、表裏一体の現象として同時平行して進行したのである。(104頁)
 
 耐火建築は、建物を守るための「耐火」であり、人命を守るための「耐火」ではない、ということ。むしろ、耐火になることで大規模で高層の建物が増えて、結局、火事がおきると多くの犠牲者が出ることになってしまった。耐火だから、コンクリートだから安心だ、安全だというわけにはいかないのである。
 こういう話題を書いているホームページなどでは「だから木のほうが火に強い」なんて極論が書いてあったりするが、それはいくら何でも贔屓の引き倒し。普通の木造建築で考える限り、やはりコンクリートよりは燃えやすいという傾向は否めない。ただ、ここで確認したいのは、コンクリートも思っているほど火に強くないし安全でもないということと、木も思っているほどすぐ燃えるモノじゃないということ。
 頭の中に凝り固まったコンクリート信仰を、ちょとでも解きほぐしてほしい。
 
 それじゃあ木の家で子どもの命を守るためには、どうやって火事に強くするの? という大問題に立ち戻ろう。木造住宅、とくに20数年前の古い住宅の場合は結構よく燃えるはずだ。土壁ではなくなってから石膏ボードになるまでの間に建てられた家だ。土壁の場合は壁そのものにある程度の防火性があるし、壁の中身が空洞じゃないから煙突になることもない。内壁や天井がほとんど石膏ボードになってからは、構造材はほとんど石膏にガードされるようになったので、防火性能は向上しているはず。その中間の、築20~30年くらいの家は、土壁じゃないけれども柱が露出しているかベニヤの壁、天井は薄い板やベニヤだ。いくら木は案外燃えにくいとかいっても、これでは燃えてくださいと言っているようなもんだ。
 さっきも出てきたように、木は30分で2センチ足らずしか燃えない。もうちょっと正確に言うと、1分に0.6ミリくらいが炭化するといわれている。ようするに、厚さや太さがあれば、30分くらいは焦げながらでもナントカ踏ん張れるのである。
 昔の民家は、柱の太さは18センチとか30センチとか普通にあった。今年(2009)2月に世田谷区で三田家という築120年の古民家が全焼したけれども、写真で見る限りは骨格は保っている。その3日前には杉並区で「トトロの家」がやはり全焼している。私も愛読しているに宮崎駿氏の「トトロの住む家」で紹介されていた。この本の写真から判断するに、三田家のような太い柱の古民家建築ではないが、これも骨格は残っている。これ以外にも、木造住宅の全焼した写真を見ても、ほとんど骨の部分はかろうじて残っている。つまり、木造の木の部分は残っているのである。燃え尽きているのは、壁と床と天井と屋根だ。これが燃え抜けない位の厚さがあれば、被害は全然違うものになっていたはずだ。
 しつこいけど、もう一回書く。木造住宅は、柱や梁が木でできているから、木造住宅って呼ばれている。で、木造住宅が火事になっても、柱や梁はナントカ燃え残っていることが多い。燃え尽きているのは、他の部分だ。

 では、そもそも火事になる原因は何かというと、第1位はダントツで放火、たばこの火の不始末と天ぷら火災などのコンロがほぼ同率2位。件数は少ないけど規模は大きくなるのはがストーブ。
 放火は外からの話なので次の章に譲る。で、たばこは不始末をするな! 以上。
 ストーブはちゃんと管理のできるものにする。ストーブが燃えるんじゃなくて、ストーブの周りに燃えるモノをおいとくから火事になる。洗濯物を干したり、ヘアスプレーを放置したり。石油でも電気でもこれは一緒。火が見えないファンヒーターでも吹き出し口に燃えるモノを置いといたら燃える。アタリマエだけど。管理能力に不安があるならば、床暖房やエアコンのような低温暖房にしておこう。
 問題はコンロ。ガスだろうがIHだろうが、ものが煮えたり焼けたりするのだから危険はある。特に多いのが天ぷら油。これは、意外とIHクッキングヒーターで多い。原因は油が少なすぎる場合と、鍋底が反っていてセンサーが働かない場合があるようだ。それに、IHだから安心という心理的な油断もある。ガスでももちろん危険はあるが、最近のガスコンロは全部の口にセンサーがついているので、以前よりは危険は減った。
 私は、IHは電磁波が心配なのであまりおすすめしていない。というか、できるなら使わない方がいいよ、と言っている。IHをすすめないもうひとつの理由は、炎のない暮らしってどうなんだろう という気がすること。人間になって以来、ながらく使ってきた「火」を捨ててしまっていいんだろうか。それって、技術の進歩かもしれないけれども人間の知性の退化じゃないの と思う。それに加えて、唯一の利点である安全性にもケチがついた以上は、やっぱりIHはやめておいた方がいい。
 ガスコンロの場合に注意したいのは、周囲の壁や天井が燃えないようにすること。壁はパネルやタイルなんかの燃えない材料を貼るけれども、その下地になる部分が長年の間に焦げてきて、ある日火がつくことがあるので、必ず下地まで不燃性のものにすること。それと、これまでキッチンの天井は垂れ壁(手摺りを逆立ちさせたような壁)で区切らなくてはならなかったものが2009年5月から緩和されたので、例えばキッチンの天井を木にするなんてこともできるようになった。ただし、木を貼るときはある程度の厚みのあるものにしておいた方がいい。
 
 いくら注意しても、やはり火事はおきるときはおきる。注意するから大丈夫、といって対策をとらないわけにはいかないので、火事になってしまったときのことは考えないわけにはいかない。 
 火事には、ふた通りのパターンがある。ジブンチの火事とトナリの火事だ。ジブンチの火事は、家の中で燃え広がらないようにすることと、逃げ道を確保しておくこと。トナリの火事は、こっちに火が入ってこないこと。
  さっきから言っているように、木は30分で2センチ弱燃える、というか炭になる。これより薄いモノだと、炎が向こう側に燃え抜けて広がってしまう。だから壁や床や天井などの内装に木を使うときは、2センチ以上の厚さのものを使うのがウレシイ。2センチまで行かなくてもそれに近いものにしておきたい。天井で9mm、2階の床で15mmあれば、ちょっと効果は落ちるけど合わせ技にならなくもない。
 なんて考えつつも、住宅でなにが防火上の弱点になるかというと、実は吹き抜けとリビング階段だ。燃え抜けるもなにも、最初から仕切るものがないのだから、吹き抜けがあると炎の回りが早いのは簡単に想像が付く。それなら、吹き抜けとかリビング階段とかの炎の通り道になるものは作らない方がいいのか?
 この答えはとっても難しい。吹き抜けやリビング階段みたいなものがなんであるのか。いろいろ理由はあるだろうけれども、やはり大きなものは家の、いや家族の一体感を感じたいからだろう。リビングも階段も各部屋もそれぞれキッチリ独立していて、しっかりした天井と壁と扉に仕切られていれば防火的には上等だ。だけど、それでは家のなかがバラバラになりすぎるから、家族の交点を作るために吹き抜けやリビング階段ていうものは作られる。動き回る動線や目で見る視線や物音や雰囲気や、そうした同じ屋根の下に住む人がどこかで交わるようにしている。
 もちろん、そうした交点をわざと作ることが絶対の条件ではないから、家族のあり方や考え方によってはそんなものは要らないこともある。それはあるけれども、でも多くの場合はどっかで交点を演出しておかないと、だんだん家族が疎遠になってしまうことを心配して吹き抜けやらリビング階段やらを作る。それを、防火という理由で完全に否定してしまっていいんだろうか?
 そうそう、リビング階段を念のため説明しておこう。文字通りリビングの中に階段があること、ってそのまんまじゃあ説明になってないか。階段は普通は廊下とか玄関ホールとか、リビングや居間ではないところに作られることが多かった。明確な理由は分からないけれど、おそらくリビングの前身が座敷であったせいだろう。ちょっと昔の日本の家にリビングなどというものはなかった。あるのは、客間としての座敷と食堂としての居間だ。居間は直訳するとリビングルームになるみたいだけれど、広さと機能を考えると横文字のダイニングに近い。LDKのDだ。Lのほうのリビングは、座敷が家族用に浸食され変容した形態だろう。
 リビングが座敷の進化したものだとすると、座敷に階段を作るなんてことは日本の大工さんの感覚では120%あり得ないことになる。機能性とか可能性とかのず~と以前に、そもそも想定外だったのである。リビングの吹き抜けもなかなか定着するまでに時間がかかったのも、同じ理由ではないだろうか。座敷の天井というのは、いろんな様式があって大工の腕の見せ所でもあった。それに、もともとは天井なんてなくて屋根裏が見えていたところに、座敷だから特別に上等な天井をこしらえたのだ、歴史的には。それをわざわざ取り払ってしまうなんて愚の骨頂、と昔ながらの大工には思えたにちがいない。
 そんな歴史を経ながらも、家族のあり方の変化や進化にともなって、ようやく家のあり方も変容してきた。その象徴が、リビングの吹き抜けであり階段なのである。べつに、これを賛美するつもりではないが、そういう艱難辛苦を乗り越えて定着してきたといことを知っておいてほしい。ところが、このリビングの天井に吹き抜けや階段で穴を開けることは、防火の弱点になってしまう。さあ、どうする。
 結局答えにはならないけれども、家については何事もバランスだということ。何かひとつの要素にこだわりすぎて、凝り固まって執着してしまうと、他の要素が置いてきぼりになってしまう。一番大事なことは、家が子どもを守ること。もちろん、子どもだけじゃなくて大人もだけれども、子どもは否応なくその家に住まなくてはならないのだし、何せ先が長い。これからの、この大変な時代を生きていかなくちゃならないのだ。
 だから、防火性ももちろん考えつつ、それでも家族にとって子どもにとって必要であるならば吹き抜けやリビング階段やその他諸々の空間構成はあって良いと思う。
 ただし、火事の可能性はどんな家でもあるのだから、逃げ道だけは考えておかなくてはならない。階段を通れなくなったらこの窓からとか、玄関に出られないときは勝手口からとか。特に、防犯のために小さい窓や面格子ばかりになると火事の時に逃げられない。泥棒が入れないだけに自分も出られない。このへんは、ぜひとも考えておきたい。
 
 さて次はトナリの火事がこっちに入ってこないことについて。これは同時に、こっちの火事がトナリに燃え移らないことでもある。
 と書き始めようかと思ったけれど、この章ばっかり長くなってしまうので、この話は<火事編その2>につづく。
 
 
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  どちらかというと学校のことに話題が集中してきたので、そろそろ家、住まいのことに話を戻そうか。子どもを守るための木の家をどうやって手に入れるのか。
 
 その前に、最近の家庭菜園ブームについて。何年か前まではガーデニングの雑誌が並んでいたところに、今は家庭菜園が陣取っている。家の雑誌なんて片隅に追いやられて、書店の一番いいとこにずらっと。もっと驚いたのは、家庭用トラクターのコマーシャルをテレビのゴールデンタイムでやっていること。知ってる人も多いだろうけれど、某バイクメーカーがカセットコンロのガスボンベで動く耕耘機を作った。けっこうカワイイ。それ以外にも、肩にひょいとかけて使える耕耘機なんかも2,3万円で販売されている。
 そんな情報に驚いた数日後、近くのショッピングセンターに行くと、新しい店ができていて、店頭になんと耕耘機がおいてある。シーンズショップ、靴屋、HMVのCDショップの隣に耕耘機が並んでいる光景はなかなかシュールだ。看板をよく見れば、ヤン坊マー坊のあの会社が展開する家庭菜園ショップである。花屋の片隅で種を売っていた野菜たちが、一気に主役に躍り出た感がある。いったい誰が仕掛けたのか、ヤン坊マー坊に聞いてみないと分からないけれど、たぶん自然発生的なものではないだろうか。前の章でもちょっとふれた食育なんていうのも関係しているとしても、そんな地味なもので大流行は生まれないだろう。都市住民の心の中に「野菜を育てたい」という切実な思いがムクムクと湧き起こってきたということだ。これはスゴイなあ と思った。
 私が30の手習いで建築の学校に通い始めて、最初に作った課題設計は畑付きの図書館だった。ちなみに卒業設計は銭湯付きの美術館だったのだが、まあそれは置いといて、都市機能に畑が必要だという思いはずっと感じてきた。もっと昔を振り返れば、中学2年までは庭には必ず畑があった。母親が畑好きで、庭というものは野菜が植わっているものだと思っていた。取れたてのトマトやトウモロコシの味は、子ども心にもうまいなあと思った。そんな原風景もあって、畑のある家というのはごく当然のものだと思ってきた。
 これまで何軒か畑のある家も設計した。25坪の敷地に5坪の畑があると、ひとり暮らしのオジイチャンにはちょうどいい広さの畑になる。住み始めて1年後に訪ねたときに、ますます元気になっている様子を拝見してホントにうれしかった。しかし、現実は厳しい。30坪程度に割られた敷地に、4人家族くらいの建物と駐車場をとると、ちょうど一杯になるようにできている。もちろんその気になれば、ゴーヤの一本くらいはスキマにでも植えられるけれど、畑という姿はなかなか作れない。子育て真っ最中の若いファミリーが手に入れられる家に畑を確保するというのは、結構難しいのだ。
 そうなると、今度はあこがれの「田舎暮らし」となる。これまたコの手の雑誌はいっぱいある。田舎不動産物件の広告がメインで、その間にバラ色の田舎暮らしのグラビアや取材記事がならんでいる。何を隠そう、私もときどき立ち読みしてはため息をついている。疲れているときほど、深い深いため息がでる。半分本気で土地を見に行ったこともある。けど、踏み切れないのは仕事があるからだ。
 私の場合は、自分の仕事は少々田舎でもできるけれども、カミさんの職場に通えるというのは絶対条件だ。ぶつぶつ文句言いながらも仕事に誇りをもっているようだし、なにより頼りないダンナの稼ぎだけでは一家の財政が心許ない。これは、夫婦のどちらの仕事であれ、ほとんどの家庭に共通していることにちがいない。いくら田舎暮らしにため息が出ようとも、仕事を辞めて引っ越すわけにはいかない。
 それでも、私はあきらめきれずに、子どもたちが大きくなってしまう前に畑のある家に住みたいなあと考え続けてきた。ウチだけでなく、多くの子どもたちが、そういう環境で育つことができたらいいのに。種をまいて、育って、もぎ取って、食う。これを日常的にアタリマエのようにできる子どもは本当に幸せだ。手伝わされてツライと思うかもしれないが、でも絶対に命の体験は残る。血となり肉となる。
 今は保育園や小学校でもやってるじゃないかという人もいるだろう。そう、ほとんどのところでやっているし、それは良いことだと思う。下の子の保育園では、芋掘りが年中行事だし、お姉ちゃんの通っている小学校では、5年生になったら田んぼでお米を作るらしい。でも、これは特別な行事ごと。もし学校でするのならば、1時間目はずっと畑の時間にしてしまうくらいの、日常的な普通の光景になってこそ、子どもの原風景になるのだと思う。
 そうなると、やっぱり家に畑が欲しい。無理なローンを組まずに、坪20ン万円とかの悲しい家じゃなくて、畑を確保することができまいか。なにせ、自分でもそんな家に住みたいと思っているから、しつこくシツコク考えてきた。で、これならできるかも、という答えが見つかった。
 
 なにぶん、この世の中は資本主義なのだから人気があって需要が多いものは値段が高い。じゃあ、人気がなくて需要が少なくて供給は結構あるものを使えばいいんじゃないか、そう考えた。
そのひとつは、山の木だ。これまで縷々述べてきたように、日本の山には木があり余っている。流通の問題があって、必ずしも安くはないけれども、高くもない。輸入材よりも国産の木は高いようにいわれることが多いけれども、それはウソ。いま、家を建てる木で一番安いのは、国産の杉の木だ。まして、間伐して捨てられている木をうまく使うことができれば、少々安い値段でも山を管理する人たちにはいくらかの利益になる。
 もう一つ、うち捨てられているものがある。それは、郊外のニュータウンだ。大阪近郊の場合だと、都心から1時間程度の場所でも、ビックリするくらいサビれている。造成されてから40年近い「ニュー」タウンは、住人の平均年齢も70才を越えつつあり、空き家も非常に多い。大阪梅田から23分の千里中央の周辺に、日本で最初の大規模ニュータウンといわれる千里ニュータウンが広がっている。ここはさすがに今でも値段が高く、土地の値段が坪80万から100万くらいしている。敷地面積が100坪くらいあるから、まず普通の人には買えない。この千里ニュータウンですら、空き家がすごく多い。実は数年前にある地区を全戸調査したことがある。(このときの数字は今手元にないので、確認してからここに追記します。)
 ましてや、もっと交通の便が悪いニュータウンは推して知るべし。空き家どころか、街開きしてから何十年も家が建てられなかった土地がゴロゴロしている。土地の値段も坪10万とか7万とかいう状態だ。まだなんとか住めそうな家と50坪くらいの土地で、1000万出したらおつりが来る。千里ニュータウンのなんと10分の1。
そのままではいくら何でも住みたくないけれど、庭の土を入れ替えて、構造の補強をして、木の内装を施して、ついでに畑作業に便利なように土間を作ったりして、なんやかんやで2000万くらいで畑のある木の家が手に入りそうだ。
 そうは言っても、ニュータウンのあの殺伐とした町並みの中では田舎暮らしの気分じゃないよ と私も思う。これまで見てきた坪10万円以下の多くの郊外ニュータウンに「住みたいか?」といわれれば、答えはNOだ。ところが、あっちこっち見て回ると、結構変わり種があるのでアル。普通のニュータウンのすぐ裏に突如として別荘地が現れたり、町並みは普通でもすぐ周囲がハイキングコースだったり、行ってみると「オオッ」と思う場所がある。もともと、人気のない地域だから、オオッと思おうが思うまいが不動産評価は何にも変わらない。どっかのコマーシャルでスマイル=ゼロ円というのがあったような気がするけども、感動=ゼロ円なのである。これはオイシイ。
 
 土地はそれでいいとして、建物は古いものを使って大丈夫なのだろうか、という問題もある。これはケースバイケースだ。いくらモッタイナイと思っても、さすがにコリャダメダというのもあるし、ちょっと補強すれば今どきの家より立派なのもたくさんある。
これまで、耐震診断などで古い家の天井裏や床下に潜ってきた経験値から言うと、1970年代~80年代に作られた家があまり良くないケースが多い。90年代以降は、材料も工法も画一化してきて、良くも悪くもないというのが多い。60年代より昔の家は土壁だったり、使っている木材もいいものを使ってる場合がけっこうある。それより古くて、築50年を超えてくると戦後の木も物資もない時代になってしまって良くなかったりする。もちろん、あくまで傾向を言っているのであって、そうでないケースもたくさんある。
 総じて、補強をすれば充分使える家が大量にあることは間違いない。特に、70年代に大量にたてられた築30年を過ぎた住宅をどうするかがポイントだ。どこを見て、使えるとか使えないとか判断するのか、使えるならばどこをどう補強するのか、その辺は書き出したら止まらないので章をあらためて書くことにして、とにかく、そういう家がたくさんあって、それが世の中では全然人気がなくてメチャお買い得なのである。
 
 改まって言うならば、これまでの日本経済のバブルの遺産をよみがえらせようという試みだ。そう、これは不死鳥計画、フェニックスプロジェクトなのである、と大げさなことは言わないけれど、木材は戦後の拡大造林という政策によるバブル。交通の便の良くないニュータウンは明らかに高度経済成長から日本列島改造バブルの遺産。そこに建っている住み手をなくした大量の中古住宅も然り。70年代前半の列島改造景気、80年代後半の平成バブル、そんな浮かれ踊った後の抜け殻だ。
 そういうバブルの遺産を持ち寄って、新しい命の家を造れたら、これはなかなか痛快じゃないか。いかが? 畑のある木の家で子どもも大人も野菜も育つなんて、良いと思いませんか?
 
 
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  義務教育という言葉は、ほとんどの人が知っている。聞いたことない という人は珍しいんではなかろうか。
では、この義務って何だろう。義務というのは、だれかが何かをしなければならない ということだ。
誰が、何を しなければならないのだろう。
 
 おそらく、たいがいの答えは「子どもは学校に行かなくてはならない」かな。たぶん、そう答える人が一番多いだろう。現実は、たしかにそのようになっている。学校からも親からも不登校は事件のように扱われて、学校に行くのはやはり当然の義務だと思われている。
 
ではでは、本家本元の教育基本法を見てみよう。
 
第五条 義務教育
(1)国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負うこと。 
 
答え1 誰=国民=親
答え2 何を=普通教育を受けさせる
 
つまり、子どもが学校に行く義務ではなく、親が学校に行かせる義務 なのである。なんだ、同じことじゃないか と思う事なかれ。ことはそう単純ではない。なんでそうなったのか を考えなくては。
 
日本で初めて義務教育というものが出現したのは、明治19年に小学校令という天皇の命令が出たときらしい。
 
小学校令
第三条 児童六年より十四年ニ至る八箇年を以て学齢とし父母後見人は其学齢児童をして普通教を得せしむるの義務あるものとす
第五条 疾病家計困窮その他やむを得ざる事故により児童を就学せしむること能はずと認定するものには府知事県令その期を定めて就学猶予を許るすことを得
 
当時は授業料も取られるので、一般庶民が子どもを学校に行かせるのは、なかなか大変だった。では、学校に行かない子どもは何をするのかと言えば、もちろん家計の助けに仕事をしていた。世界中を見渡せば、今でも普通のことだ。
ユニセフの統計では、日本も含めた世界中の子どもで小学校に入学するのは90%くらい。出席率は80%くらい。中学になると、入学で60%弱、出席率は50%弱。
そのほとんどは、不登校ではなくて家庭の事情で行けない子どもであろう。そういう事情に対して、仕事をさせずに学校に行かせなさい というのが義務教育の事始めなのである。
 
ただし、明治天皇や明治政府が子どものためを思って、そのような義務教育をしたのかどうかは極めて怪しい。本当にそう思っていたのなら、授業料をタダにして誰でも行けるようにしたはずだからだ。そうせずに、金がなければ義務を免除するということは、行きたくても行けない子どもは切り捨てられていたワケだ。
では、なんで義務教育なんてことを言ったかというと、江戸時代のままの寺子屋教育では色んな考え方の人間が育ってしまうからだ。松下村塾のようなのがボコボコできてしまったら、明治政府は枕を高くして眠れない。自分たちの出自でもあるだけに、いかに危険な存在かということはよ~く知っていたはずだ。
それともう一つ、これは良くいわれるように殖産興業のためだろう。産業をどしどし発展させていくためには、ある程度学のある人材が必要だった。取締役はごく一部の士族や華族が独占するとしても、中間管理職が全然足りなかった。
 
だから、義務教育というのは、子どもを労働から解放するという目的と、国家や産業に役立つ人材を育てるという目的の二面性があるということ。
数年前に教育基本法が変わってしまったけれども、何が変わったのかというと、ここのバランスが大きく変わった。前の基本法は、義務教育=子どもの権利という考え方だったけれども、今の基本法では義務教育=国家の役に立つ人材という色が濃厚になってしまった。その最たるものが、教育の「目標」を設定したことだ。
 
第二条 教育の目標
教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとすること。
 
と、以下五つの目標を書いてある
 
一 知識と教養、真理を求める、情操と道徳心、健やかな身体
二 個人の価値、能力、創造性、自主および自律の精神、勤労を重んずる
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力、公共の精神、社会の形成に参画、その発展に寄与
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全
五 伝統と文化、我が国と郷土を愛する、他国を尊重し、国際社会の平和と発展
 
まあ、これだけシバリをかけたら学問の自由とは言わない。なにせ、基本法に書いてあるのだから、日本の学校ではこれ以外のことは教えたらいけないということになった。
念のため、以前の第二条は
 
学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。
 
 となっていて、結論は「文化の創造と発展」であり、その中身については学問の自由に任されていた。現実の教育現場は、ぜんぜんこんな風ではなかったけれども、とりあえず建前だけはこういうことだった。
 それが、建前をかなぐり捨てて、お国の発展に寄与しなさいと目標設定されてしまった。
 
もうひとつ、建前を見ておこう。日本も批准している国連の「子どもの権利条約」の28条1項を要約すると、
 
教育についての児童の権利を認めるものとし、この権利を機会の平等を基礎として達成するため、初等教育を義務的なものとし、すべての者に対して無償のものとする。
 
と書いてあり、子どもの権利を守るための義務教育だ ということが分かる。子どもを縛りつけるための義務教育ではなく、子どもを守るための義務教育。この精神を現場の教師の人たちも、子どもをもつ親も、ちょとは覚えておいてはどうだろうか。いくら現実とかけ離れていても、本来はそういうもんだというとは頭の片隅に置いておきたい。
 
 どうもこの章は法律とか条約とか、やたらと堅い文章が多くなってしまった。でも、それだけ私にコダワリがあるということ。義務という言葉を聞くと、ビビッと反応してしまうのだ。
 思い起こせば、小学校6年生の終わりごろ、中学へ行くのがイヤで仕方がなかった。何がイヤかと言って制服がイヤだった。学ランのデザインが嫌いとか、軍服みたいで気持ち悪いとか、信じられないくらい機能性が悪いとか、そんな問題ではなかった。中学と高校の6年間は、制服や校則との戦いだった。生徒手帳の校則を隅から隅まで読み込んだ子どもは、日本広しといえどもそうたくさんはいないだろう。
 公立の中学には、実は制服はない。標準服というものがあるだけだ。これは、義務教育だからだ。子どもの権利を守るための義務教育だから、子どもを不要に制限するようなものは、本来は認められない。だから、制服という言葉はどこにも書いてなくて、標準服と書いてある。当然、着なくてはならない、とも書いてない。ところが、じゃあ着ないというと、恐るべき制裁が待っている。問答無用だ。理屈ではこちらが勝っても、権力で押さえ込まれる。 現実は、子どもの権利を守るための義務教育ではなく、子どもに義務を強制する義務教育だった。
 高校も公立高校で、こちらは私が2年で編入したときは私服だった。学ランを着ているのはクラスで2,3人くらい。ところが、私たちの次の学年から一気に真っ黒けになった。学ランとセーラー服一色だ。3年生は私服で、2年と1年は制服という変な学校になった。うるさいのがいなくなるころを見計らって制服強制に乗り出したようだ。怒りというよりは、教師に対する軽蔑心を植えつけてくれた。理屈で勝てないと権力を振りかざし、権力でも屈しないと見るとこそこそ隠れて陰謀を練る。なんて奴らだろう。このころから、センセイという呼び方にすら嫌悪感を思えるようになった。ちなみに設計事務所をやっているとセンセイと呼ばれることがちょくちょくあるのだが、内心イヤでイヤでたまらない。
 と、そんな経緯があって、義務教育という言葉にはものすごくコダワッテいる。本当は「子どもに自由を与えるための大人の義務」なのに「子どもに義務をあたえるための大人の自由」になっている、そんな現状に怒っている。そして、それがますます酷くなる教育の改革とか再生とかに、強烈な危機感をもっている。
 
 おそらく現場の教師は、板挟みで悩んでいる人も多いことだろう。ただ悩みながらも逃げてしまうと、私の高校時代のように子どもに見透かされる。 もともとは心優しい先生だったとしても、卑怯者に見えてしまう。
 かといって、先生の置かれている状況もなかなかシビアだ。東京都の君が代強制には、ついに生徒が先生に同情するということまでおきている。「これ以上先生をいじめないでください」という戸山高校の卒業生の言葉を、日本中の教師はどう受け止めたのだろう。
 子どもの自由を守るためには、先生はクビをかけなくてはならない時代になってしまった。それはたしかに同情に値する。けど、それに甘んじていては先生の名が廃るというもんだ。それでもなお、なんとか知恵を絞って子どもの自由を守ることが、義務教育の「義務」なんだと思う。それは、もちろん親も同じだ。そして、それはできればクビにならない戦いであるべきだ。
 そこで、やっぱり頼るべきは木の力だと思うのだ。たとえば林間学校のあり方。根性出して登山をさせるという方法もあれば、森の命を実感させるという方法もある。校庭に生えている木や草だって、何気なしに見ているのと、命の教材としてみるのでは大違いだ。最近はやりの食育だって、飯の食い方まで国に指図されるという危惧もあるけれども、命のダイナミズムを子どもに実感させる機会になるかもしれない。
 木を含めた植物の力というのは、もの言わぬだけにうまく使えば強力だ。そして、その力を長い時間とどめておけるのが木の家であり木の教室だ。
 ぜひ、実践してもらいたい授業がある。子どもたちと山で木を切ろう。もちろん、その山がどうやってできてきたのか、木がどうやって育ってきたのか、しっかりと理解しつつ。自分で切った木の切り株を見ながら、山を守ってきたおじさんたちに説明してもらう。そして、自分たちでその丸太を運んでみよう。わずか直径20㎝の丸太がどれだけ重いことか。丸太を平らなところまで運んだら、今度は製材だ。近くに製材所がなければ、チェーンソーで簡単に製材できる機械なんかもある。環境教育とか何とかいって買ってしまおう。そこで、丸太は板や柱のような四角い材料に変身する。茶色い木が真っ白な木材に変身する。そこまでできたら、次は学校へ持って帰って天日干しだ。だんだん乾いて縮んでくる。2ヶ月くらいほしたら、いよいよ大工の日だ。家庭科の実習として、教室の壁に自分たちで切った木を貼ろう。画鋲も刺しやすいし、木目もきれいだし、なんと言っても自分たちで切ってきた命ある木だ。
 そうやって、命をもらって生きてるということを、きれい事でなく実感として感じることは、かならず自分たちの命を実感することになると思う。机上の勉強で、命はだいじですね みたいなのはヘタをすると逆効果で、もらった命は捧げましょうみたいなことにもなりかねないけれど、実感できた命、いとおしいと思った命はきっと大切にする。
 
 真っ正面からの戦いももちろん大切だ。けれども、こっそりと子どもの何を残せるのか、何を渡せるのかというゲリラ戦もあっていい。木の家や木の教室は、そんな可能性をもっている。
 
 
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  最初からずっと「子どもを守れ」と言い続けている。で、子どもの何を守るんだろう、と自問自答してみた。もちろん命も守らなくちゃならないし、命までいかなくても健康も守らなくちゃならないし、健康にも体の健康も心の健康もあるわけだし、今だけでなくて将来も守らなくちゃならないし、将来にだって将来の社会や経済という意味もあれば環境という意味もある。考えていけばもっとあるだろう。こんな何でもかんでもを「木の家」で守るなんて無謀な話だし、夜郎自大、大法螺吹きの類になってしまう。
 つきつめればやはり、心を守るってことなのだと思う。そう言いつつ、最近は「こころ」という言葉をすごく使いにくくなったとも思う。何でもかんでも「こころ」の問題、「こころ」のせいにして、「こころ」さえナントカすればすべて解決するかのような主義主張がまかり通っているからだ。
 その代表選手が文部科学省のやってる「心の教育」「心のノート」だろう。小学校低学年、中学年、高学年、中学生と4種類の心のノートっていうのがあって、それぞれに「これがいい子ちゃんですよ」という道徳を書いてある。まあ、書いてあること自体はそんなに無茶苦茶なことではない。子どもがみんなこんないい子ちゃんだったら気持ち悪いなとは感じるけれど。「思いやる心」とか「地球に生まれたことの意味」とか「人類の平和と幸福」なんて言葉が並んでいる。
 ただ、どうしても余計なお世話っていう気がする。というか、こんなものを読んで「うん、そうだなあ」なんて心から納得する子どもがいるんだろうか? 少しはいるかもしれないけど、ほとんどはいい子になるための通過儀礼として覚え込んでいるか、しらけた目で見ているか、ではないだろうか。いずれにしても、きれいごとに過ぎないことは肌身で感じているはずだ。なぜなら、ほとんどの大人がそんないい子ちゃんな生き方も考え方もしていないからだ。子どもの目はしっかりと見ている。
 思いやる心なんてかなぐり捨て、地球に生まれたことの意味なんて1年に30秒くらいしか考えることなく、人類の平和と幸福に至っては本気で考えたら会社をクビになったり最悪は逮捕されたりする、そんな大人の姿を目にしながら、「心のノート」を読む子どもたちは何を感じるだろうか。それはたぶん、戦略としてのいい子ちゃん、生き抜く知恵としてのいい子ちゃんだ。もっとありていに言えば、本音と建て前、裏と表の使い分けを覚えていく。そういう使い分けをできるようになった子どもは、心に大きな負担を抱えながら社会に適合して生き抜いていく。限界に達するまでは。
 使い分けのできない子どもは、最初から規格外として選別されていく。それは、きれい事を本気で信じてしまった場合でも、きれい事なんてバカじゃないのとホリエモンのような生き方をした場合でも。
 
 ちょっと余談になるが、教育や子育ての本のコーナーには「キレる子ども」とか「学級崩壊」とか「いい子が危ない」とかの言葉が氾濫している。そして、その多くがそうした子どもの心の中をほじくり回してあれこれ解説している。たまに、毛色が変わっていると思ったら「イジメは犯罪だから告訴せよ」みたいなことが書いてある。
 こうした本の著書も、結局同じ精神構造なのだ、たぶん。戦略としてのきれい事を身につけた評論家は、子どもの心を解説し教師や親の心を解説してご自分の道徳心を天下に表明している。逆に、きれい事なんてバカらしいという論者は「イジメは逮捕しろ、告訴しろ」と叫んで世間の耳目を集める。すべての子どもたちがこういう評論家と同じくらいしたたかで器用ならばいいのだけれど。いや、よくはないか。すべての子どもがこんなだったら、世の中はいよいよ修羅場だ。
 とにかく、子どもはもっと不器用に無理を重ねていい子ちゃんになるか、綺麗でない現実とぶつかるか、さもなければきれい事と喧嘩しながら野獣の生き方をしなくてはならない。それ以外の選択肢はない。どこを探しても。こうなると、親としてできることなんてホントにたかがしれている。せいぜい、いい子ちゃんになりすぎないように気をつけてやるくらいしかない。勉強しすぎないように、本音のワガママを口に出せるように。いいこちゃんの規格から外れたときに「いいんだよ」と言ってやる、「いいんだな」と感じる余裕をもたせてやる。そんな、スキマのようなことしかしてやれない。ゴメン。
 
 「心の教育」と必ずセットになっているセリフが「何でも世の中のせいにするな」だ。たしかに、世の中のせいにしても始まらないということは多い。毎日の現実を生きている以上は、世の中が悪いといっても飯は食えない。四の五の言っている間に飯の種を見つける方が先決だ。それに、そうしてナントカなるうちは、一歩でも前に進んでいる方が気分もいい。私自身も、1990年から2005年までの15年間はそう思って、ひたすら働いて生きていた。
 でも、やっぱりなんか変だと思ったのが2005年9月11日の選挙だった。あの小泉劇場といわれた郵政選挙。これはエライことになるという予感にゾゾッとなった。人類が始まって以来良い世の中なんてなかったのだから、少々ガマンして生きなくてはならいのはこれは仕方ないかもしれない。でも、ガマンには限度がある。それを超えるようなことになると、きっとワケの分からないことがいろいろおきてくる。やばいなあ。と思った。
 人間の体でも交感神経と副交感神経とか、ホルモンとか、いろんな拮抗するものがバランスを保って生きている。外敵から身を守る免疫だって、強すぎるとアレルギーになるし弱すぎたらエイズみたいにちょとした風邪で死んでしまう。(医学は専門じゃないので適当な言い方です。あしからず。)
 政治の世界も、あまりにもひとつの勢力が強すぎるとロクなことにならない。あーだこーだ良いながら喧嘩しつつもナントカ生きていけるというのがいいんだけれども、小泉劇場はそんな均衡をぶち破ってしまった。
 その前兆も感じてはいた。郵政選挙の前年、2004年4月におきたイラクでの人質事件だ。人質事件というより、自己責任事件といった方が日本では覚えている人が多いかもしれない。ジコセキニンの大合唱がくり返しくり返し報道されたことは覚えていても、その元になった事件は風化しているんじゃないだろうかと、ちょっと心配だ。
 2004年4月7日に、イラクのファルージャで3人の日本人ボランティアが武装グループに拉致され、犯人グループは自衛隊のイラクからの撤退を要求した。これに対し、捕まったのは「自己責任」だ(だから自衛隊の撤退はするな)という、ジコセキニンの大合唱がまきおこったのだった。そんな風に記憶している。
 このときは、本当に心が寒くて寒くて、この国の人たちはどうなっちゃったんだろうと思った。家すらないストリートチルドレンの支援したり、放射能をまき散らす劣化ウラン弾のことを調べたりしていた日本人ボランティアに、なんで言葉を極めて憎しみを投げつけるんだろう。だいたい、ジコセキニンを合唱している人たちこそ、どれほどの責任をもってその言葉を発しているのか。もしそれは間違いだったと分かったら、どうやってジコセキニンをとるつもりなのだろう。おそらく、テレビで顔をさらしてしゃべっている人ですら、ちょっと時間がたてばしらっと忘れて責任なんてとるつもりは、さらさら無いんだろう。
 「世の中のせいにするな」という御説をたまわると、どうしてもこういうことが頭の中を去来する。あのジコセキニンという大合唱が、地鳴りのように聞こえてくる。
 
 しかし、あれから何年もたって考えてみると、自己責任という言葉自体に矛盾があることに気がつく。簡単に言えば、馬から落ちて落馬して、の類だ。責任というものは、当然というか自動的にというか、自分にくっついているものだ。私に責任があるとは言うけれども、私に自己責任があるとは言わない。彼に責任があるとは言うけれども、彼に自己責任があるとは言わない。そもそも、責任というのは自己責任以外ではあり得ないからだ。
 なのに、あの事件以来、普通の日本語の中でも自己責任という言葉がよく使われるようになった。地域の運動会の呼びかけでも、「事故やケガについては自己責任でお願いします」なんて調子で。もう不自然とも感じないくらいよく見かける。じゃあ、以前はどのように書いてあったのかと思い起こしてみると、たぶん「事故やケガについては(主催者は)責任を負いかねます」ではないだろうか。町内会は参加者のケガには責任追いません、という言い方だったハズだ。同じことを言おうとするとそうなる。
 この言い方だと何が違うのかというと、主催者の責任範囲が明確だ。主語が主催者だから。町内会は、ここまでは責任とりませんよ、と宣言することになる。当然、それはちょっと冷たいんじゃないの とか ちゃんと保険に入って責任持つべきだよ という異論も出てくる。
 ところが、自己責任でお願いします というと、運動会の主催者である町内会の責任範囲は語られていない。参加者の責任を問うているだけで、「責任感のある子どもになれ」と教育されてきた圧倒的多数の人たちは、そりゃそうだ と妙に納得してしまう。
 つまり、自己責任という言葉は、主催者側が「責任をとりません」と宣言せずに責任をとらないための言い回し、新造語なのである。ややこしくて恐縮だけれども、「責任をとらない」と決めるのもある意味の責任だ。たとえば責任とらないと決めたことに対して、あとから「法的に責任があるよ」と言われたら、決定した人は無責任の責任をとらされる。
 ところが、自己責任でお願いします と言えば、主催者は責任があるのか無いのか、何も言わなくていい。主催者側は、誰も何も責任をとる必要がない。本格派の無責任だ。
 
 心の教育やらの「いい子ちゃん」押しつけ教育と、「自己責任」という究極の無責任とは表裏一体だ。そりゃそうだ。責任を持って「いい子ちゃん」になれなんて、誰も言えない。言った自分にはね返ってくるからだ。自分はどうやねん!! と言われて、ふんぞり返ってみせる下卑た大人はいるかもしれないが、だいたい道徳を得々と説くオッサンほど、陰では色んなことをしている。ソンナノカンケイネー(古!)、いい子ちゃんになるのは自己責任だ と言わなくては道徳教育なんて成り立たない。文部科学大臣から現場の教師に至るまで、いったい道徳に責任をとれる人間なんて何人いるのか。というか、そんな人間が地球上に存在するのか??
 子どもたちは、だれも責任をもってくれない「いい子」を押しつけられて、いい子になれなかったら、あるいは ならなかったら、自己責任で冷や飯を食わされ果ては処罰される。これが、今の子どもたちの立ち位置だろう。
 油断という言葉は、王様が臣下に油の入った容器をもたせ、一滴でもこぼしたら命を断つ と言ったのが始まりだとか。今の子どもは、まさにこの臣下のようにギリギリの緊張を強いられながら生きている。ほとんどの子どもは、そこまで自覚はしていないだろうけれども、学校の廊下を行き交う子どもたちの頭の上には、見えない油の壺が乗っている。
 そんな子どもの緊張感をゆるめるには、いい加減な見本を見せてやるのがいい。クレヨンしんちゃんもやや当初の勢いを失いつつある昨今、いい加減の見本ていうのは実はなかなか見つからない。もちろん、何でもカンでもいい加減にすればいいと言うものでもない。親や教師がやたらといい加減では、子どもはますます捨て置かれてしまう。ただ、あるがままで子どもとつきあうこと、あるがままの子どもを受け入れること、そんな関係がちょっとでもつくれたらいいなあ と思うのだ。
 で、話は4章の「ちゃんと"していない"木」につながる。4章でも書いたとおり、木というのは全然ちゃんとしていない。いい加減の見本としてはこれ以上のものはない。勝手に伸びたり縮んだりするし、模様だってこの世に二つ同じものはない。
 ところが、木をちゃんとさせたい建築業界は木に道徳を押しつけた。まっすぐであれ、縮んではいけない、木目はすっきりと・・・。そして、木の中の「いい子」の部分だけを貼り合わせて集成材というものをつくり出した。たしかに建築である以上、強度を確保しなくてはならないし、けつまずいたり指を挟んでケガしたりするのは困る。人間の場合とまったく同じメンタリティーで木を扱うつもりは、私にもない。けど、それでもなお集成材みたいな道徳的な木はあまり使いたくないと思う。できるだけあるがままの木を使いたい。できれば節も木目もそのままの木を使いたい。
 そういう木で包まれた空間は、ほんのちょっとかもしれないけれど、子どもの「油断しちゃいけない」という緊張を和らげることができる。暗い部屋でひとり、木の壁にほっぺたをくっつけると、「ああ拒絶されていないんだ」という感覚を味わうことができる。なんだか根拠はないのに
「大丈夫」という気がしてくる。そういう芯のあるいい加減さを、木はもっている。
 油の壺をもって生きている子どもたちを解放してやれるわけではないが、いい加減さをお互いに受け入れる時間と空間があることは、きっと大きな助けになるだろう。
 
 
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  いくらホンモノの木の家でも、地震でつぶれたり火事で丸焼けになってしまっては元も子もない。子どもを守るどころか、家は殺人マシーンになってしまう。この章では、まず地震について話をしてみよう。
 100人の人に「木造とコンクリートでどっちが強い?」と聞くと、まず99人がコンクリートと答える。建築の素人だけじゃなくて建築関係の人でもほとんどがそう答える。「木と鉄」でもおんなじだ。でも、お察しの通りそんなことはない。
 たとえば、10センチ角の木の柱と、同じ大きさで真ん中に鉄筋を1本入れたコンクリートの柱が立っているとしよう。上からまっすぐ重しを乗せていくと、これはちょっとだけ転勤コンクリートのほうが強い。では、柱の頭を神様がぐいぐいと引っ張るとどうか。これは木の柱のほうが2倍以上強い。ではでは、二人の神様が二本の柱でチャンバラをしたらどうか。大上段から振り下ろした二本の刀が空中でチャリーンと火花を散らす。いや、木とコンクリートだからチャリーンじゃなくてボコッというかな。で、折れるのはどっちの柱か。同じ力で同じ長さのところをぶつけてどちらかが折れるとしたら、これは間違いなくコンクリートの方が折れる。
 じゃあ、10センチ角の鉄のかたまりならどうだろう。たしかに、これは強い。木の30倍くらい強い。でも、重さも木の20倍くらいある。こんなモノで家を作ったら自分の重さを支えるだけでも大変なので、実際は真ん中を空洞にしたパイプにしたり両脇の肉を削ってH型にしたりして使っている。だから、実際に使われている柱の強度はあまり変わらない。
 どう?不思議でしょう。木造のビルとか木造のデパートなんて見たことも聞いたこともないのに、木の方が強いなんて。たしかに、高層建築になると太い柱が必要になるので無垢材ではなく接着剤で寄木をした集成材を使う必要はあるけれども、カナダや北欧では5階建ての木造なんかは普通に建てられている。8階建ての計画もあるとか。
 日本だって大きな木造建築はたくさんある、じつは。11年前の長野オリンピック。スピードスケートで清水選手が金メダル、岡崎選手が銅メダルをとって日本中が大騒ぎだったあの時、ふと競技場の天井を見上げていた人はいただろうか。そう、長野オリンピックのスケート競技場だったMウェーブは木造の屋根をもつ世界最大級の建物だ。長さ230m、幅160mというから甲子園球場のスタンドも含めた面積より大きい。
 それなのに何で木造のビルや木造のマンションがないのかというと、これは防火の規定のためだ。現在の法律では、どうがんばっても4階建てまでしか建てることはできない。それも、あまりにも厳しい規制でほとんど木造のメリットがない。ここで問題になるのが、木は本当に火に弱いのか ということだが、これは次の章にしたい。この章では地震の話だけにしておかないと頭のなかが大騒ぎになるから。
 とにかく覚えておいてもらいたいのは、木は弱くない、同じ太さなら鉄筋コンクリートより強いこともある、ということ。木が弱くてコンクリートが強いというのは、日本の建設業界が作った都市伝説、あるいは集団洗脳だ。チョコレート業界が作ったバレンタインデーや、百貨店業界が作ったお中元と同じで、業界の商売の都合で作られたものにすぎない。
 
 さて、木は弱くないということは分かった。じゃあ木で作れば何でも強いのかというと、もちろんそんなことはない。ちゃんと強い設計をして強い作り方をしなければ、木造だろうとコンクリートだろうと鉄骨だろうと強くはならない。アタリマエだ。
 強い設計と言えば耐震偽装問題、いわゆる姉歯事件を思い出す人も多いだろう。姉歯氏は組織犯罪の末端だったのだけれど、全部責任をおしつけられて一人で悪者になってしまった。 こういう大きな犯罪はたいてい下から順番に悪者になって、雲の上の方はお咎めなしでおわってしまう。耐震偽装問題も、結局悪いのは建築士だということになって、建築士の責任ばかりがものすごく重くなった。書類の数とハンコの数が飛躍的に多くなって、何か問題が起きたときにお役人に責任が及ばないためのガードが何重にもできて、ぜんぶ建築士が責任をかぶるようになった。
 で、これが建築の強度を高めているのならばそれでもガマンもするが、どうもそういう効果はあまり期待できない。だいたい、マンションなども含めて年間100万戸ほどできる新築住宅のうち約半分は構造計算をしていない。耐震偽装とか言う前に、そもそも構造計算をしていないのである。本気で建物の耐震性をよくしたいのならば、すべての建物に構造計算を義務づければいいのに、手続きとハンコの数を増やしただけでそこはまったく手をつけていない。
 ええっ! そんなんでいいの? と普通の人は感じるだろうけれども、建築業界の人間はぜんぜんそうは思っていない。なにせ、長年の慣習だから「そんなもんだ」と思って疑わない。それに、ビルやマンションの設計ばかりしている人たちは木造住宅なんてオマケみたいなもんだと思っている節がある。私の知り合いの設計事務所の代表が 「木造住宅で図面なんか書くの?」と言ってように、木造住宅は大工さんのカンで建てるものだと思っている。
 しかし、いくらマンションが多くなったとはいえ日本に住む人の半分は木造住宅に住んでいる。その木造住宅がオマケあつかいでいいんだろうか? 構造計算もせずに建ててしまっていいんだろうか。その答えを出す前に、なんでこういうことになったのか木造住宅の歴史をちょっとだけ振り返ってみよう。
 
 時は1920年代。大正ロマンから昭和初期。戦争に突入していく直前、つかの間の平穏な時期。同潤会などという鉄筋コンクリートのモダンアパートもできつつあったけれども、世の中の住宅のほとんどは木造住宅。そのすべてを大工が経験とカンで作っていた。そして日本はバカげた戦争へと突き進み、2000万人の人を殺し200万人の人を殺された。同時に、ものすごい数の家を焼き尽くされてしまった。
 侵略戦争と敗戦の結果、なんと全世帯数の1/4にあたる420万戸の住宅が不足したという。4人に一人は家が無かったのである。バラックで雨露を凌いだり、親類に居候したりできたのはラッキーな部類で、中には小学校を実力占拠して住んでしまうなんてことも、結構フツウに行われたらしい。
 当たり前だけれども、雨露を凌ぐことは、食料とならんで深刻な問題だったけれども、食べ物は本当に何も無い状態だったのにくらべて、住宅はバラックをたてるような残骸は転がっていた。だから、とにかくある物をひっかきあつめて、家のような形をしたものを作ってしまった。
 それに拍車をかけたのが、家賃の高騰と賃貸住宅の復旧の遅れだった。今では信じられないような数字だが、戦前は全世帯の9割以上が借家や社宅や間借りで住んでいた。持ち家は8%に満たない。それなのに戦後はその借家の再建が進まず、国も30万戸の越冬用の応急住宅を作ると言いながら、実際は1/3の10万戸しか作らなかった。そうなると、かろうじて再建したものや焼け残った賃貸住宅は家賃がガンガン高くなった。
 その一方で、小は地主のミニ開発から大は政商による鉄道事業もからめた大規模宅地開発まで、持ち家政策という名の不動産バブル政策を戦後の経済復興の柱にしていく。おかげで、敗戦から10年目の1955年には持ち家は52%近くにのぼっている。
 住み手は食うや食わずで住むところがない、家を作る側は資材不足のうえにほとんどノーチェックの無法地帯。大工や工務店も、儲かりそうだからと素人が始めたような“にわか大工”が激増した。これでまともな家が建つわけがないのは、今考えればアッタリマエのなんとやらだけれども、そうやって何百万戸という家が建てられていった。
 にもかかわらず、今日でもまともな家が少しは残っているのは当時の大工や職人の良心と心意気だったということだろうが、そんな幸運な家はごくごく少数派であり、ほとんどは「とりあえず建っている」というような代物だった。私自身、これまでリフォームや建て替えや耐震診断などで、そんな驚くべき家をたくさん見てきた。床下に潜って見てみると、「よくこの家つぶれずにたっているなあ」と不思議になるくらいひどい家はいくらでもある。床下から見れば欠陥住宅だけれども、マクロ的に見れば、これこそが戦後復興経済だったのである。
 どん底のマイナスから世界第2の経済大国にのし上がっていくには、破壊され尽くした国土を目一杯利用して、手抜きだろうが何だろうがお構いなしに建設しまくるしかなかった。そのあり方が日本の産業構造になり、10人に1人は建設関連と言われるほどに建設業界は肥大化し、良くも悪しくも日本の産業の根幹となっていった。
 そうなると、家に住む人と家を建てる人の力関係も完全に変わってしまった。戦前は家を建てる施主さんは金持ちの旦那さんで、家を作るのは出入りの大工だったから、施主の方が圧倒的に強かった。ところが、戦後は産業の基幹を支える建設業の方が絶大な力を誇り、ローンを組んで爪に火をともして家を建てる施主は非常に弱い立場になってしまった。ほんとうだったら、にわか大工が激増しているのだから法律で厳しく規制して家の強度を確保しなくてはならなかったのに、規制したら工務店が困るから敗戦から35年間はほとんど野放しだった。
 
 こうして構造計算なしで家を建てるという「常識」ができあがってしまった。まあこのくらいで大丈夫だろうという基準だけ作って、その基準を満たしていればOKということにした。しかも工事の検査が義務ではなかったから、申請と実際が似ても似つかない家ばかりだった。耐震性能なんて刺身のツマ以下の待遇しかあたえてもらえなかった。
 しかし、さすがにそれでは地震のたんびにたくさんの家が倒れる。実際に倒れた。1978年の宮城県沖地震で28人の犠牲を出し、やっと規制を少し厳しくすることにした。それで1981年に建築基準法を改正し、今までよりだいたい3割くらい強度をアップさせることにした。(逆にいうと、それ以前の建物は法律どおり作っていても7割程度の強度しかないということ。)
 それでも、1995年の阪神淡路大震災では6500人近い犠牲を出してしまった。新築の住宅でも大破したりして、またまた建築基準法のいい加減さが露呈した。で、また泥縄で法律を改正し2000年からはいくらかマシな基準になった。多くの市町村で検査も義務化されて、申請と実物が似ても似つかぬということはほとんどなくなった。たしかにずいぶんマシになった。
 でもでもそれでも、はてなマークはなくならない。実際に木造2階建ての家を構造計算してみるとわかるのだけれど、今の法律の基準ギリギリでは計算結果はNGになるからだ。だいたい、法律の基準の1.5倍くらいの強度にしないとOKにならない。
 構造計算の基準というのは、「震度5強くらいの地震でペチャンコにならない」というもので、案外たいしたことない。阪神淡路大震災の震度7が来たらどうするのと不安になるが、安全率とかで余力がかなりあるので実際にできる家は計算上の強度より相当強いモノにはなる。それにしても、構造計算ですらそれくらいなのに、その7割程度しかない基準で本当にいいんだろうか。
 木の家の文化を持つ国として、戦後から高度経済成長期にかけて木造の構造計算できる技術者を育ててすべての家で構造計算していれば、阪神淡路や中越などの大被害は出なかっただろう。その意味でも、震災は人災だ。地震学者の島村英紀さんはこんなことを言っている。「地震は人を殺さない。人を殺すのは人が作った構築物だ。」
 揺れる地面に立っているだけならせいぜい転んで擦りむくくらいなのに、ヘタに建物があるから人は死んでしまう。命を守るシェルターのはずが命を奪う殺人装置になってしまった。この痛切な反省を胸に刻んで、子どもを守る木の家は最低限でも構造計算をして建てよう。
 もちろん構造計算をしても建てる方法を間違えたら計算通りの力は発揮できないから、計算や図面に表現しきれない現場の工夫も必要だ。そんなノウハウも子どもを守る家には注ぎ込まなくてはならないのだが、まずは構造計算をするという建物としてのスタートラインに立とう。それがなくっちゃ話が始まらない。
 
 
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  「ちゃんとしなさい」 「早くしなさい」 「静かにしなさい」  一日に何回こう叫んでいますか? 子どもの耳には「チャント茸」が生えているにちがいない。育児書なんかを見ると「しなさい」ではなく「しようね」と呼びかけた方がいいとか書いてあるけれども、本質的には同じことだ。「ちゃんと」という枠の中に子どもを入れておかないと気が済まない。
 もちろん、言いたくなる気持ちは私も同じ親としてよく分かる。保育園や幼稚園の時間に始まって、買い物に行っても電車に乗っても子どもが「ちゃんと」していてくれないとニッチもサッチもいかない。家の中にいても下の階の人に気を使って子どもの足音に恐怖する。ましてタダでさえ髪の毛が逆立つくらい忙しい朝なんて、子どもがの~んびりオニギリを米粒一つずつかじっていたりすると思わず金切り声が口からほとばしる。「ハヤクシナサイ!!!」
 (決して、決してうちのワイフのことを言っているのではありません。あくまでもフィクションです。)
 こうして毎日と格闘しているママたちも、もちろん心のなかでは別に子どもが悪いのではないことは分かっている。オニギリを一粒ずつゆっくりと食べることに何の罪があるだろう。残して捨てるのはモッタイナイけれども、お腹に入る分にはゆっくりでも早くでもいいじゃないか。子どもがうれしくてピョンピョン跳ね回るのはアタリマエのこと。床が響こうが下の階でうるさかろうが、それはマンションなんてモノを考えたヤツが悪いのであって子どもが悪いのではない。そんなことは、ほとんどのママやパパは分かっている。分かっているけれど、いざとなるとキングギドラ顔負けに口から火を噴いてしまうのだ。
 
 私が子どもだった40年くらい前も、やはり同じように「ちゃんとしなさい」と毎日毎日言われていたような気がする。むしろ当時のほうが親は厳しかっただろう。少なくともウチはそうだった。今の子どもに当時の親のようなやり方をしたら、きっと全員グレてしまうかウツになってしまうだろう。
 じゃあなんで当時の子どもたちはそれなりに親の言うことを聞いて、あるいは聞き流して育ってこれたんだろう。それはたぶん、「ちゃんと」の規範がはっきりしていたからじゃあないだろうか。少なくとも一般庶民にかんしては、こうやって生きて死んでいくんだよというモデルコースがあった。高校までは卒業して会社に勤めて55才で定年退職して年金もらって男は70才くらい女は80才くらいでお迎えが来る。人の人生というのは、要するにそういうものだった。
 平均寿命も今よりずっと短くて、男だったら1960年で65才、1970年でも69才だった。今の65才は私なんかよりずっと元気だ。寿命が15才も延びるというのはすごいことで、これだけでも人生のモデルケースは変わってしまう。
 けれども、モデルケースが変わった原因は平均寿命が延びたせいだけではない。やはり一番大きいのは一般ピープルの中でも「差」が大きくなったということと、その「下」の方になってしまうと死ぬまで生きることが約束されなくなったということだろう。「ちゃんと」の枠の中にいてもヘタをすると野垂れ死ぬかもしれないということだ。
 経済学者のラビ・バトラという人は、日本の社会は1972年が一番豊かでその後はどんどん貧しくなっていると言っている。50代60代の人は「そんなわけあるかい。少なくともバブルまでは日本はどんどん豊かになっていったぞ。」と思うだろう。けど、ラビ・バトラさんはそうじゃないと言う。これは私の乱暴な解釈だけれども、こういうことじゃないかと思う。1972年まではみんなが必要なモノを作って経済が豊かになっていったけれども、それ以降は必要のないモノまで作ってそれを無理矢理買わされるために給料が増えていった。だから生活者ではなくて「消費者」と呼ばれるわけだ。モノを買うために生きている生物=消費者。
 生きるためにモノを買っていたはずが、モノを買うために生かされている。これはとんでもない転換だった。つまり、日本の社会の目的と手段が逆転したということだからだ。人が生きるということが、モノを買うということの手段になってしまった。モノを買う人たちがたくさんいれば、モノを買えない少数の人は野垂れ死んでもかまわないということになってしまった。
 それを法律で定めてしまったのが、1999年の労働者派遣法の改正だし、21世紀になってからドンドン進められた規制緩和や改革の数々だ。お金をたくさん使う能力のない人はどこでどうなろうと知ったことじゃないよという「改革」は、価値観だけじゃなくて制度まで逆転させてしまった。
 
 こうなると、親は子どもがドツボにはまらないようにするために目の色を変える。そら仕方ない。それが親の務めだ。むかしの「ちゃんとしなさい」は「ちゃんとしないと良い人になれないよ」という多分に倫理的なものだったけれど、今の「ちゃんとしなさい」は「ちゃんとしないと大人になるまで生きられないよ」というホラー映画みたいなこわ~いセリフなのである。
 それにしても、だ。いくらそういう事情があったとしても、毎日毎日こわ~いセリフで脅迫されながら生きていかなくてはならない子どもたちはたまったものじゃない。たとえそれが社会の現実だったとしても、そんなむき出しの現実をグリグリねじ込まれながら毎日を過ごさなくてはならないなんて。
 子どもには笑って生きる権利がある。これ、絶対の真理だと私は信じて疑わない。ニューヨークだろうがバクダッドだろうが、ガザだろうがエルサレムだろうが、子どもは笑って生きる権利がある。日本はまだ爆弾は落ちてこないけれど、とにかく酷い現実があればあるほど、そのことを大人が考えてあげなくちゃならない。子どもには笑って生きる権利がある。
 だから、生きることが困難になっていく今だからこそ、子どもたちには笑って生きる余地をキープしてあげたい。夜回り先生の水谷修さんが言う「いいんだよ」という言葉。転がり落ちないためにはたしかに良くないのかもしれないけど、それでも過ぎてしまったことは「いいんだよ」という。そういう余白をキープしてあげたい。
 そのための一つの手段が、木の空間だと思うのだ。前にも書いたけれども、木という素材はバラツキがある。強度も模様も手触りも、一本一本、一箇所一箇所ぜんぶ違う。それでいて、一つのまとまりのある落ち着いた空間を作ってくれる。これ木じゃなくて、たとえば高島屋と大丸と伊勢丹と三越の包み紙を並べて貼ったらワヤクチャな空間になってしまう。でも、木ならばそんなことにはならない。ちゃんとしていないのにちゃんと空間を構成している。
 こんな木の空間に包まれていると、まず大人が「ちゃんと」という強迫観念から逃れることができる。少なくともやわらげてくれる。木の表情を見ていると、ちゃんとにこだわっているのがアホらしくなってくる。なにせ、バラバラなのはもちろん、隙間はあくし反り返るし傷はつくしシミもつくし、まるでラップ現象のようにパキンと鳴ったりもする。それでも、なぜか気持ちのいい空間なんだなあ、これが。
 ただ木の空間だというだけでも効果があるけれども、これが自分たちが山で切ってきた木だったりすると、もうベリーキュートだ。木の人生、じゃない木生なんかも思いだしつつ伸び縮みする様子が可愛く思えてくる。こうして親子でニッコリする瞬間は、「ちゃんと」の時間ではなくて「いいんだよ」の時間だ。
 もちろん、木の空間にしたら口から火を噴かなくなるとか全部解決するとかいうことではない。でも、人間は環境にものすごく影響される。満員電車と静かな湖畔で同じ精神状況になる人はいないだろう。木と人の関係についても、ある程度のデータは実験されているやアンケート調査なんかで発表されている。これについては、別の章でまとめて紹介することにして、ここで私が言いたいのは「ちゃんと」してなくてもいいじゃないかということ。そのお手本が木の空間だということ。そして、木の空間にいると「ちゃんと」してることがだんだんアホらしくなってくるということ。
 キングギドラに変身しそうになったなら、そっと壁の木に手を当てて深呼吸してみよう。きっと、ひゅるひゅると人間に戻るから。


 
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  家を建てる場所がどこだろうと、木の床を貼る学校がどの都市にあろうと、関係者一同はまず山へ行かなくてはならない。行ってもいいとか行った方がいいとかじゃあない。行かなくては話が始まらない。
 登山やハイキングをする人なら、日本の山の特徴を知っている。登り初めてしばらくは薄暗くてうっとうしい針葉樹の森がつづいていて、しばらくするとやっと広葉樹の明るい森に抜けてなんだか嬉しくなったりする。ところが、山へ行く山はこのうっとうしい針葉樹の森のほうだ。いやいや、見る目がかわるとうっとうしいどころか面白いことこのうえない。
 山のわりと低いところに生えている針葉樹は、全部人間が植えたもの。戦前からのものもあるけれども、ほとんどは戦争に負けて街では家が焼きつくされたあとに植えられたので、日本の山の針葉樹は50才くらいの木が圧倒的に多い。なんで、家が焼けた後に植えられたかっていうと、考えるまでもなく木が売れたからだ。
 山に立っている木の値段を見ると、955年(昭和30年)に1立方メートルあたり4500円だったものが、2001年には7000円くらいで1.5倍になっているのだけれども、物価は6倍くらいになっているので実際は4分の1に値下がりしていることになる。つまり、昭和20年代は今の4倍の値段で売れたのだ。こりゃスゴイ。笑いが止まらないね。
 ところが、戦争中に大きい木はバンバカ伐って軍がもっていっちゃったから、売りたくても売る木が足りない。ちなみに、軍がどんどんいい木を買い上げていったときに間に入って大もうけしたのがブローカーとか政商とかいわれる連中だ。山の持ち主は軍の言い値で売るしかなかった。お国のため と言われて。
 話を戻そう。戦争で家が焼けてしまったので、とにかく木は売れる。これに国が追い風をブンブン吹かせたのが、拡大造林という政策だった。これまで薪や炭にしていた広葉樹の林をぶった切って杉と桧を植えろ!と大号令をかけたのだ。これがどのくらいスゴかったかというと、わずか15年あまりの間に400万ヘクタールに杉や桧を植えてしまった。400万ヘクタールというのは、なんと日本の陸地面積の1割以上で、現在の日本中の宅地面積の2倍だ。田中角栄の日本列島改造もすごかったけど、面積だけなら拡大造林のほうがずっとデカかった。
 それにしても、50年たたなきゃ売れない木を、足りないからといって泥縄式に植えたというのが今から見れば信じられないことではある。泥棒ととらえて縄をなうどころか、泥棒を捕まえてから縄の原料になる麻の種まきをするようなものだ。でも、日本中が熱に浮かされたように杉と桧を植えまくった。ほとんど素人のような人がどんどん裏山に植えたものだから、本当は杉なんかには適さない山にもドンドンどんどん植えてしまった。
 低い山の南斜面に杉を植えると、成長が早すぎて目の込んだ良い材料ができない。そのかわりに花をいっぱいつけて花粉を大量に生産してくれる、と吉野の林業家が言っていたけれどもさもありなん。拡大造林の400万ヘクタールを含めて、日本の陸地の4分の1は杉と桧と唐松が植わっていて、なかでも杉が圧倒的に多いのだから花粉症などはおきてアタリマエだろう。
 
 こんな山の歴史や花粉症の原因まで考えつつ針葉樹の森を見ていると飽きることがない。自然の勉強と社会の勉強を同時にできる生きた教材だ。そして忘れてはいけないのは、拡大造林で私たちのジジババチチハハの世代が植えてしまった杉や桧がちょうどお年頃を迎えているということ。とくに杉は、50年くらいで良い柱になる。60年を超えると床を支える梁にもなる。いくら熱に浮かされて植えられてしまった木だとはいっても木には罪はない。勢いでできちゃった子どもでも同じようにカワイイのと同じで(?)、拡大造林でできちゃった杉の木でも同じように立派な杉の木だ。
 戦後の復興というとすぐに土木建設や電機メーカー・自動車メーカーの躍進ばかりに目がいくが、拡大造林だって傾けた情熱では負けていなかった。ちょっと先見の明が足りなかっただけで。わずか50年ほど前に日本の陸地の1割もの山地に杉と桧を植えるというとんでもない大国民運動を繰り広げたことを、まるで無かったことのように忘却の彼方へ押しやるわけにはいかない。良い面も悪い面も含めて、僕らの世代は受け止めなくちゃならない。そうじゃなくちゃ、ジジババチチハハは浮かばれない。いや、なによりも立派に育った杉の木が可哀相すぎる。
 それに、あまり粗末にすると杉の木は復讐の鬼になることだってある。花粉症もそうだけれど、もっと怖いのは水だ。山へ行って針葉樹の森を見たら、まず地面に注目してほしい。根っこがウネウネと見えていて、土の表面が流れているような森は赤信号だ。植えられたまま放置されて日も射さないため草も生えず腐葉土も作られず粘土質の土がむき出しになっている。こんな森は水を貯めておくことができない。雨が降るとそのままザザーと川に流れ込むからあっという間に水かさが増え、ずっと下流で悲劇が起きる。川遊びをしている子どもを飲み込み、道路や家を押し流す。
 川はもちろん海に流れ込むから、雨に削られた草の生えない山の土は海に流れ込んで、生き物の上におおい被さって窒息させ、昆布やワカメなんかの海藻は赤く変色し、魚も激減する。
 山の土を見ると、そんなことが分かる。もし、出かけていった山の土がそんな悲しいひび割れたような土ではなくて黒くてフカフカで草や小さい木がいっぱい生えていたら、それはとても幸せな針葉樹の林だ。その山の持ち主が責任感のある人だという証拠。儲からないのをガマンして、枝うちや間伐などの手入れを何十年も続けてきたということだ。
 針葉樹の森は、杉にしても桧にしてもとてもたくさんの苗木を植える。1ヘクタール(100mx100m)に3000本とか7000本とかの苗木を植えるから、1本あたり1畳くらいの広さしかない。これではちょっと木が大きくなったら枝と枝がこすれあって押し合いへし合いになってしまうので、まず枝を切り落とす。光合成に必要なてっぺんの方は残しておいて、下の方は枝を切ってしまう。切るといっても、最初は手が届くから良いけど20年30年と育ってくると背伸びしても届かない。これをプロの木こりは巧みなロープワークでするすると木に登り枝を落としてくる。そして、いちいち登ったり降りたりするのは大変なので、木から木へ飛び移るというのだからビックリだ。ムササビもたじたじ。
 とにかく、そういうモノスゴイことをしながら枝をきるのを枝うちという。枝うちをすると森の中に光が射し込んで草が生え土が生き返る。見た目にもうっとうしい森から麗しい森へ変貌する。
 そして、もう一つ枝うちの目的は節の無い材木を作ることでもある。今どきの価値観では節の無い材木がそんなにいいとは思えないけれども、昔は節の無い材木で家を建てるのが金持ちのステータスだった。だから、金持ちに高く買ってもらうためにせっせと枝うちをしていたのだが、最近ではそこまで手入れをしている森はほんとうにわずかになった。節のない木をステータスだなどと思って大金を払う人たちが少なくなってしまったからだ。
 それでもやがて木と木がくっついてきたら、いよいよ間伐をする。間伐の方法はいろいろあって説明が難しいけれども、不要な木を切って残す木を大きく育てるということ。不要というよりは、早めに切ってしまう木と長く育てる木を分けていくと言った方が正確かもしれない。山の斜面に生えている木を全部切るのはわりと簡単だ。切った丸太を運ぶのも、全部だったら方法がいろいろある。けれども、間伐というのは、木と木の間にある木ををポツポツと切っていくから非常に効率が悪い。どの木を切るか考えることから始まって、切って倒して丸太にして運ぶ。これがぜんぶ効率悪い。だから、間伐をしない山がどっと増えてしまった。
 いくら効率が悪くても、これをやらないとただでさえ価値の下がっている杉の木が本当にタダ以下になってしまうので、かろうじて間伐はする山もある。切るところまでは補助金が出るから、とりあえず切るところまでは切る。しかし、木は切ってからが大変。たっぷりと水分を蓄えた丸太は重い。もうめっちゃ重い。これを山の中から林道まで引っ張り出すだけでも一仕事だ。さらに市場まで運ぶ手間を考えると、全然採算が合わない。で、どうなるかというと、切った木は山に捨てられる。
 土は黒くて草も低木も生えている幸せな山でも、ちょっと見回せばうち捨てられた丸太が目に入る。樹齢も40年を過ぎるようになれば、間伐とはいっても充分に柱や床や壁になるイッチョマエの木だ。それがゴロゴロと捨てられている。まるごと。(ちなみに、大阪のホームセンターでは30㎝くらいの丸太の切れ端が1500円で売られているのを私は目撃した。)
 
 山へ行くと、こうした木の受難を目の当たりにすることになる。それでも、山は気持ちがいい。ここで枝うちや間伐の体験をすると、自分も山の一部になれたような気がしてうれしくなる。木はただのモノではなくて、命をもって語りかけてくる。この体験をぜひとも子どもたちにしてもらいたい。
 学校の床に貼る木を切りに遠足に行けばいい。うちの小三の娘は直径15センチの杉を一人で切り倒した。大丈夫、小学生でもできる。
 6年生になったら修学旅行で山に泊まり込みイノシシ鍋を囲んで林業家の話を話を聞いてもいい。油の乗ったイノシシやとろりとした自然薯は子どもの感性を解き放ち、生きる実感を取り戻してくれるだろう。
 理屈や言葉じゃ説明しきれない。とにかく、山へ行こう。針葉樹の山へ。
 
 
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  さて、木の家とか木の床とか木の壁とか木の天井とか、まあ何でもいいんだけど、木のナントカというときにどんな木かということは大問題だ。木は木でしょ、と言われるとミもフタもないけれど木は木でもいろいろある。手元の辞書で木の付く字を探すと434文字もある。その中で建築に使われる木は、実はちょっとしかない。というか、三、会、公の3種類で家は建つ。
 木偏に三で杉(すぎ)、木偏に会で桧(ひのき)、そして木偏に公で松(まつ)。他にも、栂とか樅とか栗とか楢とか桜とか言い出せばいろいろあるけれども、とりあえず、杉桧松の三種類があれば家はできる。
 で、どれが一番子どもに優しいかというと、文句なしに杉だ。花粉症で不人気の杉は、柔らかくて肌触りが良く温かくベタつかない。転んでも滅多にケガしないし、裸足であれば適度に滑りにくい。ただし、柔らかいので傷やへこみはあたりまえ。そんなものを気にしていたら杉とはつきあえない。
 桧は、温泉の桧風呂で触ったことがあるかもしれない。杉よりはちょっと堅くて油分がある。桧の独特のニオイはさわやかだ。あまり濃いと頭が痛くなるけれども。水に強いので土に近い土台に使うほか、高級材としていわゆる「和風建築」では目に付くところに使われる。好き好みはあるけれども、桧は晴れがましくて私はちょっと抵抗感がある。杉よりは堅いとは言え、子どもが遊び回れば傷が付くのは同じ。
 松は強度があるので、建物の床や屋根を支える梁に使う。最近は国産の松がほとんどないので、北米産の米松やシベリア産の欧州松がほとんど。この舶来種は松ではなく樅(もみ)の仲間だという説もあるが、性質は松に似ている。国産材にこだわって作るときは、米松を使わずに、杉の梁にする場合も多い。(そうなると2種類で家が建つ) それはともかく、松は床に使うことも少なくないが、油分(ヤニ)が多いので手足の触れるところだとベトベトすることがある。アルコールできれいにはなる。
 そうそう、信州や北海道では、杉よりも唐松(からまつ)が多く植えられている。信州の高原に遊びに行くと、白樺と唐松ばかり見かける。唐松は松のくせに落葉樹で、紅葉したあげく冬のあいだは葉っぱを落とすので、ものすごく寒いとところでも生きていくことができる。冬でも葉がある普通の松は、葉っぱの中が凍ってしまって生きていけないのだと聞いたことがある。この唐松も松の仲間として建築用材に入れておかなくては、雪国の人たちに怒られる。
 
 木のあれこれを話し始めると止まらないので、とりあえずここまでにしておいて、「にせもの」について言っておきたい。言っておきたいというより、言葉の鉄槌を下しておきたい。
 「にせもの」にも何段階かある。一番ひどいのが、プリントだ。紙やビニールのシートに木目をプリントして、何かに貼り付けたもの。ひと昔の家の洋室の壁に貼ってあった木目の板はプリント合板。ベニヤ板に木目をプリントした紙を貼ってあった。紙だから、セロテープを貼ると木目がはがれた。それが発展して塩ビ化粧合板になった。紙じゃなくて塩ビシートだから結構丈夫なのだけれども、樹脂っぽいツヤツヤ感がなんともいえなかった。その後塩ビが良くないということになってオレフィンという樹脂に変わり印刷技術も格段に進歩した。そして今や、ちょっと見た目には私が見てもホンモノかニセモノか分からないくらいの「にせもの」が世の中を席巻している。オソロシイ。
 これが、今の家で見られるほとんどの「木」の正体だ。ベニヤ板か紙を堅く固めたものにオレフィンのプリントシール。床以外は全部といっても良いかもしれない。床はさすがに樹脂ではなく、ホンモノの木をうす~くスライスしたものをベニヤ板やスポンジの上に貼ってある。世にフローリングといわれる代物だ。その上ご丁寧に、ウレタン塗装という頑強で湿気を通しにくいペンキを上からコッテリ塗っているので、手に触れるのは木ではなくウレタンである。
 
 誤解のないようにベニヤ板について一言はさんでおこう。ちょっと実物をご存じの方は「ベニヤ板も木じゃないか」と思われるだろう。ベニヤ板の正体は、桂ムキにした木のうす~いうす~いシートを接着剤で何層にも貼り合わせたものだ。ミルフィーユのパイが木のシートで生クリームが接着剤と思ってもらえばいい。うす~い木と木の間に接着剤の層があるので、木としての性質はほとんど期待できない。しかも、この接着剤こそが悪名高きシックハウスの主犯格ときている。
 そして、この主犯格のベニヤ板を法律で公認してしまったからさあ大変。子どもたちの未来やいかに!! って大げさだと思いますか? いやいや、このくらいではまだ足りない。法律で公認したという国家犯罪は消えるものじゃない。もうちょっと詳しくいうと、2003年に建築基準法が変わった。ここで、シックハウスの原因うち二つだけが規制された。シロアリ薬だったクロルピリホスは全面禁止。ベニヤなどの接着剤に使われていたホルムアルデヒド(ホルマリン)は等級をつけて規制、ということになった。問題は、ここからだ。
 この中で規制を受けない等級としてF☆☆☆☆(フォースター)というものができた。気温28℃、湿度50%のときに揮発するホルマリンが、"一応"人体に影響ないといわれるものだ。それも換気扇を回しっぱなしの環境で だ。このF☆☆☆☆はいくら使ってもOK。なんの制限もない。けど、気温が28℃を超えたらどうなるのか。湿度が50%を超えたらどうなるのか。たとえば、室温が33℃で湿度75%になると、軽く2倍はホルマリンが出てくる。湿度や温度が上がるとほぼ比例してホルマリンの揮発は多くなる。国土交通省の役人も、建材を売っているメーカーもよくご存じ。知らないのは、勉強不足の工務店と住まい手ばかりなり。
 さらに始末が悪いのは、このF☆☆☆☆を国が規制しないと公認したものだから、どいつもこいつも「ノンホルム」とか「シックハウス対策」とか「健康」とか言って売り出したこと。で、何が起きたかというと、それまで細々と本当にノンホルマリンのベニヤ板を作っていたメーカーが製造をやめてしまった。カナダからも輸入されていたのがストップしてしまった。そらそうだ。値段が高くて手間のかかるものを作らなくても、普通のF☆☆☆☆を作っていれば「健康建材」とか言っていられるのだから。おかげで、ちょっとだけベニヤを使うときの材料に難儀することになってしまった。
 繰り返すけれども、F☆☆☆☆はノンホルマリンでも健康建材でもない。ホルマリンの揮発が比較的少ない建材であって、温度湿度があがれば基準を超える可能性も大きい。それも、換気扇を回しっぱなしが前提だ。こういうものを、国はお墨付きをあたえていくらでも使いなさいということにしてしまった。孫子の代に禍根を残す大罪なのだが、シックハウスの規制をしたという面ばかりが評価されて文句を言う人間は少ないのだから、まったくイヤになる。
 
 さて、木の「にせもの」の話を続けよう。プリント系のもの、ベニヤ板系のものと来て次はアマルガム系のものだ。アマルガムといってももちろん金属ではない。合金のように、木と合成樹脂を混ぜ合わせたものだ。詳しい作り方は分からないけれど、プラスティックのどろどろの中に木の粉を混ぜて固めたものというイメージ。何とはなしに木目のようなものがあったりして、不気味な代物だ。反対に、木の繊維の中に合成樹脂をしみこませるというものもあったような気がする。いずれにしても、見た目が木みたいであるということ以外は木じゃないのはこれまでのニセモノと同じだ。
 一体全体、なんでこんなニセモノを作るのかというと、ニセモノは腐りにくいとか伸び縮みしないとかいう特徴があるからだ。要するに、木の特徴は嫌いだけれど木の見た目だけは欲しいという極めてワガママで自分勝手な欲望によってこの世に生み出された。
 この都合の悪いところはオミットして都合の良いところだけつまみ食いしたいという欲望は、偽札を含めてあらゆるニセモノの誕生に共通している。そして、この見にくい欲望が子どもたちの心を日々浸食している。ニセモノに包まれた現代の家に住むということは、この欲望のサブリミナルにずっとさらされて生きるということなんだ。おお、考えただけでもオソロシイ。
 アタリマエだけれども、木はもともと生き物だ。生き物である以上は凸凹がある。つまり、色や模様や堅さにバラツキがある。木には枝があり、枝は節になる。生き物だから水を含んでいる。水を含んでるから伸び縮みする。実用に支障がない範囲では、こんなものは個性として楽しく眺めていればいい。
 ところが、かの恐ろしき欲望はそれを許さない。どれも同じ顔、いつも同じ顔を見なくては気が済まない。同じ顔、同じ顔、どこまで行っても同じ顔、そんな木の硬直した表情を並べたフローリングやドアを眺めながら暮らす家が、子どもたちの心に何の影響も与えないと誰が言えるだろうか。
 
 湿気を調整してくれるとか、匂いや見た目にリラックス効果があるとか、触っただけでも脳波が刺激されるとか、物理的生物的な木と人間の良い関係はいっぱいある。それはそれで大事なポイントなんだけど、でも一番大事なのは「あるがままの命を受け入れる」ということ。木という生き物だった素材と触れあうことで、バラツキのあるあるがままの姿を受け入れる感性が育つ。
 私がこの原稿を書いている目の前には、杉の板が貼ってある。一枚として、一箇所として同じ模様はない。色も微妙に違う。年ごとに日に焼けて変化もしている。節穴を覗くのは娘の楽しみだ。時々はささくれ立ってソゲが刺さったりするので、そんなときは磨いてやる。床の傷やへこみはもう数知れず。ひどいところは、スチームアイロンをあてるとむくむくと復元したりする。落書きしても、サンドペーパーで擦ればOKだ。そんなテキトウで大らかでマッタリとした空間がある。
 こういう空間では、子どもたちはほとんど例外なく走り回る。これまで数多くの木の家を作って、その家の子どもや見学に来た子どもたちの様子を見てきた。これは断言するけれども、杉の床、それも色をつけていないもの。そこに子どもが上がったとたん、走り回る。しばらく走ってから転げ回る。子どもが体調不良とかすでに調教されてしまっていない限り、ほとんど例外なくそうなる。これが「ほんもの」の力。頭が良くなるかどうかは知らないけれども、元気で優しい子どもが育つ。
 なんとしても、子どもの環境に木の空間を実現したい。
 
 
 
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  さっき、言いやすいから「家」にしたといったけれど、ここであえて「学校に木の家」というのは、理由がある。その理由とは、読んで字のごとく、そのまんまだ。学校に家があってほしいと思う。
 もうちょっと分かりやすく言うと、子どもの居場所があってほしい。勉強する場所や体育をする場所ではなくて、居る場所。何もしなくても、何の目的がなくても居てOKな場所。そう感じる場所。今時の子どもは忙しいから、何の目的もなく居る場所なんて、おそらくこの世の中には持ち合わせていない。
 小学生でも高学年になれば3割以上が塾通い、それ以外の習い事もあれこれあって、本当に忙しそうだ。ウチの小三の娘ですら、やめとけと言うのに、通信添削、水泳、ピアノと3つもやっている。どうしてもやるんだと言ってきかない。それでいて、「あ~あ、ゆっくりできるのは日曜だけだ」とか言っている。だったら、やめとけっちゅうのに。
 たぶん、友達の影響もあるのだろうし、何かやっていないと不安なのかもしれない。小学校3年生にして、忙しくないと罪悪感を感じているのではないか、と怖くなる。そんな子どもたちに、ただ居ることが許される空間というのがあったらいいのに、そう切実に思う。僕らの世代の放課後、学校はそういう場所だった。授業が終わると、暗くなるまで校庭に居た。何をしていたかあまり覚えていないけれど、ほとんど校庭にいた。
 今の学校で「放課後」は死語だ。親が家にいるウチは即帰宅。働いていていないウチは学童保育。なんとなくダラダラと校庭で遊んでいると、心配して親が探しに来る。そんな忙しい子どもの時間を、すぐにはどうこうできないだろう。だったら、せめて、学校に居るあいだに、ほっと一息つく場所があってもいいじゃないか。それは、特別な場所じゃなくて、毎日通う教室が一番いい。決められた場所に缶詰にされるのではなく、自分たちの居場所としての教室。そんな感覚をもてる場所であってほしい。
 
 ところで、今、小学校から高校まで、木造の建物はどれだけあるかというと、わずかに1%だ。幼稚園ですら11%にすぎない。もうほとんどがコンクリートの固まりの中に子どもたちは生息している。べつにコンクリートだっていいじゃないかと思われる御仁も多いかもしれない。私が木の家を生業にしているから、コンクリートを目の敵にしているんだろうとおっしゃるなら、そりゃおおきに。でも、それは下衆の勘ぐりというもんだ。
 木造のほうがコンクリートの校舎よりも色んな面で子どもにも教師にも良いことは、多くの実験やアンケートではっきりしている。たとえば、 愛知教育大学教育学部の橘田紘洋先生は「木造校舎と教育~子どもの心と体によい木の学びの舎~」という研究を発表している。静岡県のホームページに出ているから、誰でも見ることができる。(http://kizukai.pref.shizuoka.jp/about/pdf/hashida.pdf)
 目立った結果だけでも、学級閉鎖の割合が、木造で10.8%なのがコンクリートだと22.8%。だるさを訴える子どもも、木造のほうがだいたい半分。教師の疲労感も、明らかにコンクリートのほうがひどい。
 理由はわりと単純で、コンクリートは温度や湿度を調整できないからだ。木造は、すぐに暖まるし、湿度も調節してくれる。コンクリートは、空気は暖まっても壁や床が冷たいから体温を奪われる。水蒸気を吸収できないから乾きすぎたり湿っけすぎたりする。さらに、木造の場合のケガのしにくさは、気分的なくつろぎにも繋がっているだろう。
 こうしたデータは、実はたくさんある。木造の学校自体が少ないから、その意味では限られているけれども、世の中の論文をごっそり網羅している国立情報学研究所のホームページで「木造校舎」と検索すると104件もヒットする(http://ci.nii.ac.jp/)。「木造校舎の教育環境」という本も(財)日本住宅・木材技術センターから出版されていて、相当詳しく研究されている。結果は明らかでその仕組みも単純なのに、なんで木造は1%でコンクリートばかりなのか。理由は二つ。木造だと二階建てしか建てられないので、用地が足りなかった。そして、コンクリートじゃないとゼネコンが儲からない(少なくとも麻生セメントなどのコンクリート産業は)。
 
 とにもかくにも、99%もコンクリートだらけになってしまった以上は、当分は木造校舎は絶望的なので、とにかく内装に木を使ってほしい。床でも壁でも、子どもの手が触れるところに木を使い、温度湿度を守り、そこにいることが楽しい空間になってほしい。少なくとも、苦痛を少しでも減らしてやってほしい。
 全国の保育園、幼稚園から高校までの床を、木にするのにどれくらい予算がいるだろう。保育園から高校までのコンクリート床の面積は、およそ2億㎡くらい。私立を入れるともっと多いかもしれないけれど、すでに木の床になっているところもあるから、だいたいそんなもん。予算はちょっと多い目に1㎡につき1万円と見積もっても、何のことはない2兆円あればおつりが来る。コンクリートとのあいだに断熱材を挟んで、床材を木にすれば、教室の居心地は激変する。廊下と教室に段差ができないようにドアまで変えても、2兆円もあれば足りる。
 追い詰められ、慌ただしい毎日を自らに課す今の子どもたちに、ほっとする教室をあたえるために、この国はたった2兆円も出せないのだろうか。2兆円は「たった」じゃないぞ、というご指摘もあるかもしれないが、それでもやっぱりたった2兆円だ。なんたって、給付金とかいって訳もわからず2兆円をばらまいた国なのだから。あの金を子どもたちの未来に投資しようという考えは、これっぽっちもなかったんだろうか。国産の木で床を作れば、林業にもお金が流れる。子どもだけじゃなくて、山もちょっとだけ救われる。緊急雇用として工事を行えば、一時しのぎとは言え失業対策にもなる。
 もうばらまいた2兆円は戻ってこないけれども、さらに15兆円ぶちまけるというのだから、これはもう子どものために使うべきだ。なにせ、子どもたちがかぶる借金なのだから。そう思って、09年度の補正予算とやらを見ると、何にお金が使われるのか分からない項目が並んでいる。曰く、低炭素革命1兆5775億円、底力発揮・21世紀型インフラ整備2兆5775億円などなど。低炭素革命とは、太陽光発電とハイブリッドカーに多額の補助を出すというもの。要は、大手の電機メーカーと自動車メーカーに税金を投入する。底力発揮とは、農地を集約して会社化しようという土木工事、iPS細胞の研究、そして相も変わらぬ道路工事だ。
 ハイブリッドカーなど作らなくても、乗らなければいい。できるだけ歩く。5キロくらいは自転車で何の問題もない。太陽光パネルは、製造のエネルギーコストと自給できるエネルギーとのバランスで疑問があるのに、なぜか世の中が不況になったとたんに、突然脚光を浴びているのはどうにも解せない。農地の集約はこれも深刻で、大手の会社が地主になって、農家を下請けにしてしまおうという狙いがありあり。
 そんなこんなで、湯水のごとく大企業の腹の中に消えていく15兆円のうち、たった2兆円が子どもたちの環境のために使われたら、学校は変わるのに。これはもう、地域のPTAあたりから順番に声を上げていくしかない。PTA会長なんて地元の工務店の社長がやってたりするから、ちょうど彼らの稼ぎにもなるし。もう、この際そのくらいの不純な動機はOKだ。国家レベルの、大不純にくらべればカワイイもんだ。全然OK。
 
 学校の居場所について書いたからには、ここで学童保育についても触れておかなくては。親が働いている小学校1年から3年までを、放課後あずかってくれる施設だ。施設といっても、たいてい体育館の倉庫みたいなところを改装したりして学校の片隅に間借りしている。保育園も改修予算がなかったりしていい加減ボロイところが多いけれども、学童保育は輪をかけて迫害されている。先生(指導員)は全員パートで、市町村からもなんだか余計ものあつかい。学校の中でも、肩身の狭い思いをしている。
 ところが、この学童保育を、親が働いていない子でも遊べるようにしようという動きがある。放課後子どもプランといって、文科省が大々的に旗を振っている。(http://www.houkago-plan.go.jp/) ここでは、なんと「子どもの居場所づくりキャンペーン」がおこなわれ、一見いいことづくめだ。ただ一点、お金を使わないということを除いて。
 この放課後子どもプランの問題点は、大きく二つ。ひとつは給料を払わないボランティアに運営を任せることで、非常に無責任な体制になっている。子どもに何かあったりしたときに、責任の所在がはっきりしない。もうひとつの問題は、放課後まで文科省が子どもを管理しようとしていること。もう、放課後に何して遊ぶかくらいは放っておいてくれ、と思う。いよいよ、子どもたちは逃げ場を失い、暴発する。
 現状の学童保育というのは、パートながらもちゃんと市の職員であるし、市の職員でありながら学習指導要領には縛られないという、結構ユルイところがいいところだ。 それを、放課後指導要領みたいなもんに子どもを縛ってしまおうという、そんな魂胆がチラチラ見える。
 これは、保育園も同じような問題があって、保育園と幼稚園を合体して「こども園」にするという動きが進んでいる。合体はべつにいいんだけれども、中身が悪い。こっちは、管理過剰というよりは、管理放棄。保育について、つまり、幼い子どもが生きていくことについて、役所が責任を放棄した、ということ。ま、ここでは詳しくは書かないけれども、子どもたちは相当厳しい環境に置かれる。
 そんなわけで、学童保育は現状のままならば、仮に学校が気の床になっても最後まで何もしてもらえない公算が高くって、逆に、放課後プランに乗ったところは真っ先に綺麗にしてもらえるだろう。ひとことで木の床にすると言っても、こんな問題もあったりする。ニンジンなのかはたまた毒饅頭なのか、良く見極めることも必要だ。
 
 
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  夜半過ぎ、家に帰って子どもの寝顔を見る。これを生き甲斐に生きているオヤジは私ばかりじゃないはずだ。疲れが吹き飛ぶとか、明日もがんばろうなんて健気に思ったりしたりする。
 中には、それがアダになって精神的に追い詰められる人もいる。責任感の強いオヤジほど、子ども顔を見れば見るほど煮詰まって一人で抱えて追い詰められる。もちろん、それは子どもの責任じゃない。
 子どもだって、おとなしく寝ているばかりじゃない。夜寝ない子ども、夜寝られない子どもたちのことは、夜回り先生こと水谷修さんの奮闘などで世の中にも知られるようになった。もっとも、水谷先生の意に反して、ニートとか引きこもりとか、まるで根性無しのようなレッテルを貼られてしまったけれど。
 とりあえず夜は寝ている子どもだって、親の知らないところに色んなストレスを抱えている。自覚できないだけにオヤジやオカンたちのストレスより始末が悪い。ちょっとずつちょっとずつため込んで、爆発する。導火線に火がついていても、大人はぜんぜん気がつかない。
 
「リスカ」ってなんだか分かりますか?リスの仲間でもなければ、ミニスカの仲間でもない。
 「イコール自殺ではない」と水谷先生は言う。生きるために切る。僕も、水谷先生の本や雨宮処凛さんの話を聞くまでそういう名称は知らなかった。リストカット、手首切り。大人は首を切られ子どもは自ら手首を切る。
 ほとんどのオヤジ・オカンはチンブンカンプンかな。生きるために手首を切るというのは。でも、私は分かるような気がした。自分にもちょっとだけ経験があったから。高校生の頃。
 中学に入って最初の中間テストで良い点を取ってしまったのが間違いの始まりだった。その当時は、学年の順位を発表していた。廊下に貼り出していたかもしれない。今だったら新聞の一面で大騒ぎになるだろう。でも、その時はそんなもんだと誰もが思っていた。そのテストで学年で10番になったのが、ウチの親を甚く刺激したらしく、それ以降10番以下になることは許されなくなった。無言の圧力で。
 小学校のあいだは、ほとんど勉強ということをした記憶がない。漢字のテストなんて、毎回10番どころか10点だった(もちろん100点満点で)。それが急に10位以内というプレッシャー。しかも、小学校のあいだは勉強も含めてコンプレックスが強かったから、自分でもまんざらじゃあなかったわけだ。天狗になっていた。
 そんなこんなで、以降6年間の受験人生が始まった。中学のあいだは、それでもまあまあの成績になったので、勉強自体が苦しかったということはない。ただ、内申書というものがあった。言うまでもなく、テストの点に比べて、内申点は歴然と悪かった。
 内申書については、私よりも少々年長の保坂展人さんが徹底的に戦って傷ついている様子は垣間見ていた。今、社民党の国会議員になっているあの保坂展人さんだ。私のオヤジが保坂さんのお父さんと友人だったようで、よく内申書裁判の様子を聞いたものだ。
 そんな果敢な戦いはようせんかった私は、ぶつぶつ文句を言いながらも、その内申点でいける高校へ行った。(というか、私立高校は落ちた)
 超難関校ではなく東大には一人受かるかどうかというくらいの高校で、結構気楽でいい高校生活だった。制服を嫌い、紺ブレ一色の中でオレンジのジャンパーを着込んで通っていた。そのまま行けば良かったのに、家から遠かったこともあり、2年にあがるときに編入試験を受けた。神宮球場の向かいにある受験校だった。東大か早慶に入るのがアタリマエという学校。この辺から、私のネジはおかしくなっていった。
 高校三年になると、リストカットならぬ手の甲カットを始めた。左手の甲に、カッターで十字を書くのである。幸か不幸か手先が器用だったので、血が出るかでないかのギリギリで十字に切る。じわじわっと血がにじんでくると、ぐああっと煮詰まっていた気分がほっとしてまた勉強できるという、なんだか覚醒剤のような(経験したこと無いけど!)効果テキメンの方法だった。
 やはり、慣れてくると徐々に深く切るようになる。少しくらい血が出ても平気だし、何回も同じところを切るから、型がついてくる。そのまま何年も続けていたら、本当にリストカットになっていたかもしれないが、幸いにして、高三の2月で受験とはオサラバ。以降、一度も切ったことはない。
 
 なんだか長い思い出話になってしまった。とにかく、そんなことがあったので、今の子どものリスカについても、ちょっとだけ分かるような気がする。もちろん、ちょっとだけ、しかも「気がする」という程度だけれど。
 当時の思い出して感じるのは「無言の圧力」の存在感だ。自分の生命力の根っこにも枝葉にも絡みついて、どうにも身動きのとれなくなる「無言の圧力」。その当時は、これは親のプレッシャーだと思っていたけれども、今にして思えば、親は媒体に過ぎない。恐山のイタコと霊のようなもので、イタコは霊そのものではない。しかも親は親である以上、宿命的にそうならざるをえない。
 では、親を媒体にして私のところにやってきた「実態」は何かと言えば、「常識」なんだろうと思う。これがアタリマエ、という諸々の常識。価値観。私が受験勉強をしていた1970年代の後半は、急速にこの常識が固まっていった時期だ。60年代後半から70年代初頭の安保闘争や学生運動がフリーズドライのように急速冷凍されポロポロにされていった。その一方で、高校や大学への進学率は急上昇し、高校進学は1970年に82.1%が1980年には94.2%、大学進学は1970年が23.6%だったのが1980年には37.4%となる。
 こうしたことの他に、当時を思い出すとやはり、オイルショックは外せない。トイレットペーパーに殺到したのは、私が小学校6年のとき。中卒の若者を金の卵なんて言っている余裕はなくなったのだ。貧しいながらも、色んな可能性をもった時代から、ある決まった路線で金を稼いでいく時代へ、変化はいち高校生の心の上にも影を落としていたのである。
 
 それでも、当時のほとんどの中高生は「将来生きていけるかな」という不安を抱えることはなかっただろうと思う。ガッツリ稼いで自家用ジェットなんてことを考えなければ、そこそこ暮らして年に一度は家族旅行くらいはそんなに夢物語ではなかった。まじめにやっていれば生きていけた。
 そうした「サラリーマン」になることへの疑問や窮屈さを感じることはあっても、生きていくことそのものへの不安が、圧倒的多数の中高生をとらえると言うことはなかった。「常識」に縛られることをガマンすれば、食っていくことは保証された。
 それに比べると、今の中高生は大変だ。「常識」に縛られたあげくに、生きることを保証されていない。若者への寛容さは、バブル崩壊後の20年ばかりのあいだに、ますます厳しくなってしまった。イラクでボランティアをしていた今井君たちへの「自己責任」バッシング。公園で裸になっただけで家宅捜索される草彅君。学級崩壊におびえる教師は、ちょとでも「違う」ことをする子どもに目をつり上げる。
 こんなにも、息が詰まるような生き方を強制しておきながら、若者が生きていくことはまったく保証されない。派遣切りがこれだけ問題になっても、求人情報誌を見れば派遣会社ばかりが並んでいる。政府の統計でも、働いている人の1/3はパートやアルバイトや派遣や契約社などの非正規社員だ。新規の求人では、おそらくもっと高い割合になるだろう。
 そして、一番厳しいのは若者やはりだ。非正規社員の割合の変化を見てみる。24歳以下では、1988年17.2%(学生バイト含む)が、2008年には32%(学生バイト含まず)だ。学生バイトを含めるとなんと46.4%である。これも、じわじわ増えてきたのではなくて、1994年に22.2%(学生含む)だったのが、95年は26.0%、96年27.5%、97年32.3%と増え始め、2000年には40.5%(いずれも学生含む)と大台を突破して、ほぼ現在の水準になってしまう。
 ここに、99年の派遣法改正が絡んでいることは言うまでもない。25歳~34歳を見ても、88年10.7%、94年11.9%、96年12.8%、99年16.4%、2000年17.6%、そして2008年の後半は26%だ。
 
 いくら産業界の要望だったとはいえ、法律を変えてしまった官僚や国会議員はこんな結果になるとわかっていたんだろうか?もし、わかってやっていたとしたら、数千万人の怨念を一身に受けて悶絶してもらわなくてはならない。
 おそらくは、98年頃から厳しさを増した経済状況に、「この不況さえ乗り切れば昔のような食ってはいける社会にもどる」と思っていたのかもしれない。そのために、一時的に産業界を優遇して経済を立て直そう、そう考えたのかもしれない。思いっきり善意に解釈すれば だけど。
 ところが、ことはそうは進まない。99年に底を打った経済は、2000年から2008年の前半まで絶好調に成長していった。GDPは、8年間で13%も増えた。でも、それでも非正規労働者はどんどん増え続けた。何のことはない、給料減らして会社が儲けただけの経済成長だった。企業が儲けの中からどれだけ賃金をはらったかという比率は、98年の75.1%からどんどん下がり続け、2007年には69.4%だ。そのぶん、営業純益は7%から14%に倍増。
 なんて分かりやすいんだろう。給料を減らした分だけ利益が増えている。それもこれも、お金のかかる正規社員を減らして非正規社員を増やしたおかげ。労働者派遣法改正ばんざい!だ。こうして、若者の未来は食いつぶされ、なんの保証もない社会だけが残った。そこに、ドカンときたのがサブプライム問題に始まった世界同時不況だった。
 1990年代を失われた10年と言うらしいが、2000年からの10年は食いつぶされた10年と言うべきだ。若者が就職してから10年間で稼いで手に入れるはずだった給料を、ごっそり企業が先食いして自分の腹の脂肪にしてしまった。いい加減メタボが心配になって、そろそろ脂肪を減らして若者にも分配してはいかが? と言い始めるより先に、世界同時不況という赤痢にかかってしまった。今や生死の縁をさまよって、10年間吸い尽くしてきた若者の生き血のことなんて、もうすっかり忘れて去っている。キレイサッパリ。
 今の子どもというのは、こうした10年間のあいだに生を受けたり、物心ついたりしてきた。そして、世界不況にトドメを刺されたところで世に出ることになる。それを分からずに、40代50代のオッチャンやオバチャンの時代のように「ちゃんと」すれば生きていけるかのような錯覚で子どもたちに接するのは、やはりおかしいんじゃないか と思う。
 生きていける世の中を残してやれなかった責任が、僕らオッチャン世代にはある。だから、子どもに媚びろというのではなく、そういう思いを背中にしょってなくては嘘だと思う。
 
 さあ、長い前振りだった。やっと、木の家の話にたどり着いた。
 なんで、木の家で子どもを守れるのか、これから縷々書いていこう。子どもたちの健康という面ももちろんある。でも、それだけじゃあない。生きる希望を持ってもらいたい。そのための木の家、という話もある。そして、子どもを取りまく大人をナントカしなくてはならない。いつまでも時代錯誤の「ちゃんとしなさい!」を連発する大人の心を揺さぶるための木の家。
 言いやすいから「家」と言っているけれど、もちろん家ばかりじゃなくて学校や保育園や幼稚園や病院や、その他諸々の建築を含む だ。むしろ、小中学校にこそ、木を使ってほしい。コンクリートの構造体はいまさら壊せないだろうから、内装だけでも良いから、ホンモノの木を使ってほしい。まずは、その辺から話を始めよう。
 
 
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