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Hello 山岸飛鳥 さん     
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プロフィール
HN:
山岸飛鳥
HP:
性別:
男性
職業:
木の家プロデュース
趣味:
きこり
自己紹介:
木の家プロデュース明月社主宰
木の力で子どもたちを守りたい
田作の歯ぎしりかもしれないけど
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  さっき、言いやすいから「家」にしたといったけれど、ここであえて「学校に木の家」というのは、理由がある。その理由とは、読んで字のごとく、そのまんまだ。学校に家があってほしいと思う。
 もうちょっと分かりやすく言うと、子どもの居場所があってほしい。勉強する場所や体育をする場所ではなくて、居る場所。何もしなくても、何の目的がなくても居てOKな場所。そう感じる場所。今時の子どもは忙しいから、何の目的もなく居る場所なんて、おそらくこの世の中には持ち合わせていない。
 小学生でも高学年になれば3割以上が塾通い、それ以外の習い事もあれこれあって、本当に忙しそうだ。ウチの小三の娘ですら、やめとけと言うのに、通信添削、水泳、ピアノと3つもやっている。どうしてもやるんだと言ってきかない。それでいて、「あ~あ、ゆっくりできるのは日曜だけだ」とか言っている。だったら、やめとけっちゅうのに。
 たぶん、友達の影響もあるのだろうし、何かやっていないと不安なのかもしれない。小学校3年生にして、忙しくないと罪悪感を感じているのではないか、と怖くなる。そんな子どもたちに、ただ居ることが許される空間というのがあったらいいのに、そう切実に思う。僕らの世代の放課後、学校はそういう場所だった。授業が終わると、暗くなるまで校庭に居た。何をしていたかあまり覚えていないけれど、ほとんど校庭にいた。
 今の学校で「放課後」は死語だ。親が家にいるウチは即帰宅。働いていていないウチは学童保育。なんとなくダラダラと校庭で遊んでいると、心配して親が探しに来る。そんな忙しい子どもの時間を、すぐにはどうこうできないだろう。だったら、せめて、学校に居るあいだに、ほっと一息つく場所があってもいいじゃないか。それは、特別な場所じゃなくて、毎日通う教室が一番いい。決められた場所に缶詰にされるのではなく、自分たちの居場所としての教室。そんな感覚をもてる場所であってほしい。
 
 ところで、今、小学校から高校まで、木造の建物はどれだけあるかというと、わずかに1%だ。幼稚園ですら11%にすぎない。もうほとんどがコンクリートの固まりの中に子どもたちは生息している。べつにコンクリートだっていいじゃないかと思われる御仁も多いかもしれない。私が木の家を生業にしているから、コンクリートを目の敵にしているんだろうとおっしゃるなら、そりゃおおきに。でも、それは下衆の勘ぐりというもんだ。
 木造のほうがコンクリートの校舎よりも色んな面で子どもにも教師にも良いことは、多くの実験やアンケートではっきりしている。たとえば、 愛知教育大学教育学部の橘田紘洋先生は「木造校舎と教育~子どもの心と体によい木の学びの舎~」という研究を発表している。静岡県のホームページに出ているから、誰でも見ることができる。(http://kizukai.pref.shizuoka.jp/about/pdf/hashida.pdf)
 目立った結果だけでも、学級閉鎖の割合が、木造で10.8%なのがコンクリートだと22.8%。だるさを訴える子どもも、木造のほうがだいたい半分。教師の疲労感も、明らかにコンクリートのほうがひどい。
 理由はわりと単純で、コンクリートは温度や湿度を調整できないからだ。木造は、すぐに暖まるし、湿度も調節してくれる。コンクリートは、空気は暖まっても壁や床が冷たいから体温を奪われる。水蒸気を吸収できないから乾きすぎたり湿っけすぎたりする。さらに、木造の場合のケガのしにくさは、気分的なくつろぎにも繋がっているだろう。
 こうしたデータは、実はたくさんある。木造の学校自体が少ないから、その意味では限られているけれども、世の中の論文をごっそり網羅している国立情報学研究所のホームページで「木造校舎」と検索すると104件もヒットする(http://ci.nii.ac.jp/)。「木造校舎の教育環境」という本も(財)日本住宅・木材技術センターから出版されていて、相当詳しく研究されている。結果は明らかでその仕組みも単純なのに、なんで木造は1%でコンクリートばかりなのか。理由は二つ。木造だと二階建てしか建てられないので、用地が足りなかった。そして、コンクリートじゃないとゼネコンが儲からない(少なくとも麻生セメントなどのコンクリート産業は)。
 
 とにもかくにも、99%もコンクリートだらけになってしまった以上は、当分は木造校舎は絶望的なので、とにかく内装に木を使ってほしい。床でも壁でも、子どもの手が触れるところに木を使い、温度湿度を守り、そこにいることが楽しい空間になってほしい。少なくとも、苦痛を少しでも減らしてやってほしい。
 全国の保育園、幼稚園から高校までの床を、木にするのにどれくらい予算がいるだろう。保育園から高校までのコンクリート床の面積は、およそ2億㎡くらい。私立を入れるともっと多いかもしれないけれど、すでに木の床になっているところもあるから、だいたいそんなもん。予算はちょっと多い目に1㎡につき1万円と見積もっても、何のことはない2兆円あればおつりが来る。コンクリートとのあいだに断熱材を挟んで、床材を木にすれば、教室の居心地は激変する。廊下と教室に段差ができないようにドアまで変えても、2兆円もあれば足りる。
 追い詰められ、慌ただしい毎日を自らに課す今の子どもたちに、ほっとする教室をあたえるために、この国はたった2兆円も出せないのだろうか。2兆円は「たった」じゃないぞ、というご指摘もあるかもしれないが、それでもやっぱりたった2兆円だ。なんたって、給付金とかいって訳もわからず2兆円をばらまいた国なのだから。あの金を子どもたちの未来に投資しようという考えは、これっぽっちもなかったんだろうか。国産の木で床を作れば、林業にもお金が流れる。子どもだけじゃなくて、山もちょっとだけ救われる。緊急雇用として工事を行えば、一時しのぎとは言え失業対策にもなる。
 もうばらまいた2兆円は戻ってこないけれども、さらに15兆円ぶちまけるというのだから、これはもう子どものために使うべきだ。なにせ、子どもたちがかぶる借金なのだから。そう思って、09年度の補正予算とやらを見ると、何にお金が使われるのか分からない項目が並んでいる。曰く、低炭素革命1兆5775億円、底力発揮・21世紀型インフラ整備2兆5775億円などなど。低炭素革命とは、太陽光発電とハイブリッドカーに多額の補助を出すというもの。要は、大手の電機メーカーと自動車メーカーに税金を投入する。底力発揮とは、農地を集約して会社化しようという土木工事、iPS細胞の研究、そして相も変わらぬ道路工事だ。
 ハイブリッドカーなど作らなくても、乗らなければいい。できるだけ歩く。5キロくらいは自転車で何の問題もない。太陽光パネルは、製造のエネルギーコストと自給できるエネルギーとのバランスで疑問があるのに、なぜか世の中が不況になったとたんに、突然脚光を浴びているのはどうにも解せない。農地の集約はこれも深刻で、大手の会社が地主になって、農家を下請けにしてしまおうという狙いがありあり。
 そんなこんなで、湯水のごとく大企業の腹の中に消えていく15兆円のうち、たった2兆円が子どもたちの環境のために使われたら、学校は変わるのに。これはもう、地域のPTAあたりから順番に声を上げていくしかない。PTA会長なんて地元の工務店の社長がやってたりするから、ちょうど彼らの稼ぎにもなるし。もう、この際そのくらいの不純な動機はOKだ。国家レベルの、大不純にくらべればカワイイもんだ。全然OK。
 
 学校の居場所について書いたからには、ここで学童保育についても触れておかなくては。親が働いている小学校1年から3年までを、放課後あずかってくれる施設だ。施設といっても、たいてい体育館の倉庫みたいなところを改装したりして学校の片隅に間借りしている。保育園も改修予算がなかったりしていい加減ボロイところが多いけれども、学童保育は輪をかけて迫害されている。先生(指導員)は全員パートで、市町村からもなんだか余計ものあつかい。学校の中でも、肩身の狭い思いをしている。
 ところが、この学童保育を、親が働いていない子でも遊べるようにしようという動きがある。放課後子どもプランといって、文科省が大々的に旗を振っている。(http://www.houkago-plan.go.jp/) ここでは、なんと「子どもの居場所づくりキャンペーン」がおこなわれ、一見いいことづくめだ。ただ一点、お金を使わないということを除いて。
 この放課後子どもプランの問題点は、大きく二つ。ひとつは給料を払わないボランティアに運営を任せることで、非常に無責任な体制になっている。子どもに何かあったりしたときに、責任の所在がはっきりしない。もうひとつの問題は、放課後まで文科省が子どもを管理しようとしていること。もう、放課後に何して遊ぶかくらいは放っておいてくれ、と思う。いよいよ、子どもたちは逃げ場を失い、暴発する。
 現状の学童保育というのは、パートながらもちゃんと市の職員であるし、市の職員でありながら学習指導要領には縛られないという、結構ユルイところがいいところだ。 それを、放課後指導要領みたいなもんに子どもを縛ってしまおうという、そんな魂胆がチラチラ見える。
 これは、保育園も同じような問題があって、保育園と幼稚園を合体して「こども園」にするという動きが進んでいる。合体はべつにいいんだけれども、中身が悪い。こっちは、管理過剰というよりは、管理放棄。保育について、つまり、幼い子どもが生きていくことについて、役所が責任を放棄した、ということ。ま、ここでは詳しくは書かないけれども、子どもたちは相当厳しい環境に置かれる。
 そんなわけで、学童保育は現状のままならば、仮に学校が気の床になっても最後まで何もしてもらえない公算が高くって、逆に、放課後プランに乗ったところは真っ先に綺麗にしてもらえるだろう。ひとことで木の床にすると言っても、こんな問題もあったりする。ニンジンなのかはたまた毒饅頭なのか、良く見極めることも必要だ。
 
 
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埼玉にある木の校舎
ブログ【教育の原点を考える】のサムライです。教育というテーマを中心にブログを執筆しているだけに、明月さんの新ブログを興味深く拝読しました。

初回のお話は仰せの通りで、確かに我々が子どもの頃は現在のような悲惨な貧困などは思いもよらなかったし、真面目に生きていけば生涯を全うできると当時は思っていました。しかし、今の子どもたちは大変です。不況の中で生まれ、不況の中で育ち、不況の今を生きているため、このまま不況の中で生涯を終えるのではという不安を感じいる子どもたちが多いことでしょう。

小生は、それでも二人の子どもには夢を持って生きろと常に伝えています。また、会社に人生を左右されるような社畜(家畜からの造語)のような生き方を選ぶのではなく、世界に通用する何らかの技を身につけよ、と申しています。小生の場合は翻訳技術でした。今では国内はもとより世界中の翻訳会社と接していますので、翻訳者を大事にしない会社、翻訳料金の安い会社などは当方から縁を切っています。だから、ストレスを背負っていたサラリーマンだった十年前と比較して、ストレスがゼロフリーランスの生活を送っています。

次に、木の学校ですが、拙宅の近くに東野高校(埼玉県入間市)という私立高校があります。ここの校舎は素晴らしいデザインの木造建築であり、小生も用事で時々訪れますが、安らぎを覚える素晴らしい環境です。校舎に入って窓の外を眺めれば、時代が40年以上前をタイムスリップしたのではという錯覚を起こしそうです。プロの目から見て、同校の校舎についてどう思われるでしょうか。
http://www.higasino.ed.jp/3.html
サムライ URL 2009/05/01(Fri)04:34:19 編集
無題
全然OK。good です。
2009/05/07(Thu)23:08:18 編集
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