忍者ブログ
Hello 山岸飛鳥 さん     
2024.04│ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
プロフィール
HN:
山岸飛鳥
HP:
性別:
男性
職業:
木の家プロデュース
趣味:
きこり
自己紹介:
木の家プロデュース明月社主宰
木の力で子どもたちを守りたい
田作の歯ぎしりかもしれないけど
最新トラックバック
最新コメント
[06/01 杉並嵩]
[05/24 aone]
[05/17 杉並嵩]
[05/12 汐音]
[05/07 草]
ブログ内検索
アクセス解析
カウンター
ご意見はこちらから
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  いくらホンモノの木の家でも、地震でつぶれたり火事で丸焼けになってしまっては元も子もない。子どもを守るどころか、家は殺人マシーンになってしまう。この章では、まず地震について話をしてみよう。
 100人の人に「木造とコンクリートでどっちが強い?」と聞くと、まず99人がコンクリートと答える。建築の素人だけじゃなくて建築関係の人でもほとんどがそう答える。「木と鉄」でもおんなじだ。でも、お察しの通りそんなことはない。
 たとえば、10センチ角の木の柱と、同じ大きさで真ん中に鉄筋を1本入れたコンクリートの柱が立っているとしよう。上からまっすぐ重しを乗せていくと、これはちょっとだけ転勤コンクリートのほうが強い。では、柱の頭を神様がぐいぐいと引っ張るとどうか。これは木の柱のほうが2倍以上強い。ではでは、二人の神様が二本の柱でチャンバラをしたらどうか。大上段から振り下ろした二本の刀が空中でチャリーンと火花を散らす。いや、木とコンクリートだからチャリーンじゃなくてボコッというかな。で、折れるのはどっちの柱か。同じ力で同じ長さのところをぶつけてどちらかが折れるとしたら、これは間違いなくコンクリートの方が折れる。
 じゃあ、10センチ角の鉄のかたまりならどうだろう。たしかに、これは強い。木の30倍くらい強い。でも、重さも木の20倍くらいある。こんなモノで家を作ったら自分の重さを支えるだけでも大変なので、実際は真ん中を空洞にしたパイプにしたり両脇の肉を削ってH型にしたりして使っている。だから、実際に使われている柱の強度はあまり変わらない。
 どう?不思議でしょう。木造のビルとか木造のデパートなんて見たことも聞いたこともないのに、木の方が強いなんて。たしかに、高層建築になると太い柱が必要になるので無垢材ではなく接着剤で寄木をした集成材を使う必要はあるけれども、カナダや北欧では5階建ての木造なんかは普通に建てられている。8階建ての計画もあるとか。
 日本だって大きな木造建築はたくさんある、じつは。11年前の長野オリンピック。スピードスケートで清水選手が金メダル、岡崎選手が銅メダルをとって日本中が大騒ぎだったあの時、ふと競技場の天井を見上げていた人はいただろうか。そう、長野オリンピックのスケート競技場だったMウェーブは木造の屋根をもつ世界最大級の建物だ。長さ230m、幅160mというから甲子園球場のスタンドも含めた面積より大きい。
 それなのに何で木造のビルや木造のマンションがないのかというと、これは防火の規定のためだ。現在の法律では、どうがんばっても4階建てまでしか建てることはできない。それも、あまりにも厳しい規制でほとんど木造のメリットがない。ここで問題になるのが、木は本当に火に弱いのか ということだが、これは次の章にしたい。この章では地震の話だけにしておかないと頭のなかが大騒ぎになるから。
 とにかく覚えておいてもらいたいのは、木は弱くない、同じ太さなら鉄筋コンクリートより強いこともある、ということ。木が弱くてコンクリートが強いというのは、日本の建設業界が作った都市伝説、あるいは集団洗脳だ。チョコレート業界が作ったバレンタインデーや、百貨店業界が作ったお中元と同じで、業界の商売の都合で作られたものにすぎない。
 
 さて、木は弱くないということは分かった。じゃあ木で作れば何でも強いのかというと、もちろんそんなことはない。ちゃんと強い設計をして強い作り方をしなければ、木造だろうとコンクリートだろうと鉄骨だろうと強くはならない。アタリマエだ。
 強い設計と言えば耐震偽装問題、いわゆる姉歯事件を思い出す人も多いだろう。姉歯氏は組織犯罪の末端だったのだけれど、全部責任をおしつけられて一人で悪者になってしまった。 こういう大きな犯罪はたいてい下から順番に悪者になって、雲の上の方はお咎めなしでおわってしまう。耐震偽装問題も、結局悪いのは建築士だということになって、建築士の責任ばかりがものすごく重くなった。書類の数とハンコの数が飛躍的に多くなって、何か問題が起きたときにお役人に責任が及ばないためのガードが何重にもできて、ぜんぶ建築士が責任をかぶるようになった。
 で、これが建築の強度を高めているのならばそれでもガマンもするが、どうもそういう効果はあまり期待できない。だいたい、マンションなども含めて年間100万戸ほどできる新築住宅のうち約半分は構造計算をしていない。耐震偽装とか言う前に、そもそも構造計算をしていないのである。本気で建物の耐震性をよくしたいのならば、すべての建物に構造計算を義務づければいいのに、手続きとハンコの数を増やしただけでそこはまったく手をつけていない。
 ええっ! そんなんでいいの? と普通の人は感じるだろうけれども、建築業界の人間はぜんぜんそうは思っていない。なにせ、長年の慣習だから「そんなもんだ」と思って疑わない。それに、ビルやマンションの設計ばかりしている人たちは木造住宅なんてオマケみたいなもんだと思っている節がある。私の知り合いの設計事務所の代表が 「木造住宅で図面なんか書くの?」と言ってように、木造住宅は大工さんのカンで建てるものだと思っている。
 しかし、いくらマンションが多くなったとはいえ日本に住む人の半分は木造住宅に住んでいる。その木造住宅がオマケあつかいでいいんだろうか? 構造計算もせずに建ててしまっていいんだろうか。その答えを出す前に、なんでこういうことになったのか木造住宅の歴史をちょっとだけ振り返ってみよう。
 
 時は1920年代。大正ロマンから昭和初期。戦争に突入していく直前、つかの間の平穏な時期。同潤会などという鉄筋コンクリートのモダンアパートもできつつあったけれども、世の中の住宅のほとんどは木造住宅。そのすべてを大工が経験とカンで作っていた。そして日本はバカげた戦争へと突き進み、2000万人の人を殺し200万人の人を殺された。同時に、ものすごい数の家を焼き尽くされてしまった。
 侵略戦争と敗戦の結果、なんと全世帯数の1/4にあたる420万戸の住宅が不足したという。4人に一人は家が無かったのである。バラックで雨露を凌いだり、親類に居候したりできたのはラッキーな部類で、中には小学校を実力占拠して住んでしまうなんてことも、結構フツウに行われたらしい。
 当たり前だけれども、雨露を凌ぐことは、食料とならんで深刻な問題だったけれども、食べ物は本当に何も無い状態だったのにくらべて、住宅はバラックをたてるような残骸は転がっていた。だから、とにかくある物をひっかきあつめて、家のような形をしたものを作ってしまった。
 それに拍車をかけたのが、家賃の高騰と賃貸住宅の復旧の遅れだった。今では信じられないような数字だが、戦前は全世帯の9割以上が借家や社宅や間借りで住んでいた。持ち家は8%に満たない。それなのに戦後はその借家の再建が進まず、国も30万戸の越冬用の応急住宅を作ると言いながら、実際は1/3の10万戸しか作らなかった。そうなると、かろうじて再建したものや焼け残った賃貸住宅は家賃がガンガン高くなった。
 その一方で、小は地主のミニ開発から大は政商による鉄道事業もからめた大規模宅地開発まで、持ち家政策という名の不動産バブル政策を戦後の経済復興の柱にしていく。おかげで、敗戦から10年目の1955年には持ち家は52%近くにのぼっている。
 住み手は食うや食わずで住むところがない、家を作る側は資材不足のうえにほとんどノーチェックの無法地帯。大工や工務店も、儲かりそうだからと素人が始めたような“にわか大工”が激増した。これでまともな家が建つわけがないのは、今考えればアッタリマエのなんとやらだけれども、そうやって何百万戸という家が建てられていった。
 にもかかわらず、今日でもまともな家が少しは残っているのは当時の大工や職人の良心と心意気だったということだろうが、そんな幸運な家はごくごく少数派であり、ほとんどは「とりあえず建っている」というような代物だった。私自身、これまでリフォームや建て替えや耐震診断などで、そんな驚くべき家をたくさん見てきた。床下に潜って見てみると、「よくこの家つぶれずにたっているなあ」と不思議になるくらいひどい家はいくらでもある。床下から見れば欠陥住宅だけれども、マクロ的に見れば、これこそが戦後復興経済だったのである。
 どん底のマイナスから世界第2の経済大国にのし上がっていくには、破壊され尽くした国土を目一杯利用して、手抜きだろうが何だろうがお構いなしに建設しまくるしかなかった。そのあり方が日本の産業構造になり、10人に1人は建設関連と言われるほどに建設業界は肥大化し、良くも悪しくも日本の産業の根幹となっていった。
 そうなると、家に住む人と家を建てる人の力関係も完全に変わってしまった。戦前は家を建てる施主さんは金持ちの旦那さんで、家を作るのは出入りの大工だったから、施主の方が圧倒的に強かった。ところが、戦後は産業の基幹を支える建設業の方が絶大な力を誇り、ローンを組んで爪に火をともして家を建てる施主は非常に弱い立場になってしまった。ほんとうだったら、にわか大工が激増しているのだから法律で厳しく規制して家の強度を確保しなくてはならなかったのに、規制したら工務店が困るから敗戦から35年間はほとんど野放しだった。
 
 こうして構造計算なしで家を建てるという「常識」ができあがってしまった。まあこのくらいで大丈夫だろうという基準だけ作って、その基準を満たしていればOKということにした。しかも工事の検査が義務ではなかったから、申請と実際が似ても似つかない家ばかりだった。耐震性能なんて刺身のツマ以下の待遇しかあたえてもらえなかった。
 しかし、さすがにそれでは地震のたんびにたくさんの家が倒れる。実際に倒れた。1978年の宮城県沖地震で28人の犠牲を出し、やっと規制を少し厳しくすることにした。それで1981年に建築基準法を改正し、今までよりだいたい3割くらい強度をアップさせることにした。(逆にいうと、それ以前の建物は法律どおり作っていても7割程度の強度しかないということ。)
 それでも、1995年の阪神淡路大震災では6500人近い犠牲を出してしまった。新築の住宅でも大破したりして、またまた建築基準法のいい加減さが露呈した。で、また泥縄で法律を改正し2000年からはいくらかマシな基準になった。多くの市町村で検査も義務化されて、申請と実物が似ても似つかぬということはほとんどなくなった。たしかにずいぶんマシになった。
 でもでもそれでも、はてなマークはなくならない。実際に木造2階建ての家を構造計算してみるとわかるのだけれど、今の法律の基準ギリギリでは計算結果はNGになるからだ。だいたい、法律の基準の1.5倍くらいの強度にしないとOKにならない。
 構造計算の基準というのは、「震度5強くらいの地震でペチャンコにならない」というもので、案外たいしたことない。阪神淡路大震災の震度7が来たらどうするのと不安になるが、安全率とかで余力がかなりあるので実際にできる家は計算上の強度より相当強いモノにはなる。それにしても、構造計算ですらそれくらいなのに、その7割程度しかない基準で本当にいいんだろうか。
 木の家の文化を持つ国として、戦後から高度経済成長期にかけて木造の構造計算できる技術者を育ててすべての家で構造計算していれば、阪神淡路や中越などの大被害は出なかっただろう。その意味でも、震災は人災だ。地震学者の島村英紀さんはこんなことを言っている。「地震は人を殺さない。人を殺すのは人が作った構築物だ。」
 揺れる地面に立っているだけならせいぜい転んで擦りむくくらいなのに、ヘタに建物があるから人は死んでしまう。命を守るシェルターのはずが命を奪う殺人装置になってしまった。この痛切な反省を胸に刻んで、子どもを守る木の家は最低限でも構造計算をして建てよう。
 もちろん構造計算をしても建てる方法を間違えたら計算通りの力は発揮できないから、計算や図面に表現しきれない現場の工夫も必要だ。そんなノウハウも子どもを守る家には注ぎ込まなくてはならないのだが、まずは構造計算をするという建物としてのスタートラインに立とう。それがなくっちゃ話が始まらない。
 
 
にほんブログ村 子育てブログへ
にほんブログ村
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
←No.12No.8No.11No.10No.9No.7No.6No.5No.3No.2No.1