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Hello 山岸飛鳥 さん     
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プロフィール
HN:
山岸飛鳥
HP:
性別:
男性
職業:
木の家プロデュース
趣味:
きこり
自己紹介:
木の家プロデュース明月社主宰
木の力で子どもたちを守りたい
田作の歯ぎしりかもしれないけど
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  阪神淡路大震災を経験した人ならば、地震の恐怖と同じくらい火事の怖さを覚えているだろう。63万㎡、7千戸近くが焼け落ちた。出火元は285軒と言われていて、その他の6500軒以上は類焼だ。ここでも、木造住宅が燃えさかる映像を目の当たりにして、木造は燃える、木造は怖いというイメージを心に焼き付けた人も多いはず。
 ところで、地震で火事になる場合、何が原因だろうか。ぱっと思いつくのはストーブとガスコンロだろうか。特に阪神淡路のときは冬だったから、石油ストーブなんかが多かったような感じがする。しかし実際は、半数は原因不明、3割は電器器具、8%がガスと石油、4%がたばこやマッチ、などととなっている。((財)消防科学総合センターより) 火事が怖いからオール電化にしましょう、というのはどうなんだろう。
 
 それはともかく、木造は燃えるという、全国民があまねく堅く信じている「定説」をどうするか、だ。たしかに、よく燃えているところを目撃することが多いだけに、ちょっとやそっとじゃひっくり返せそうもない。前の章で戦った10センチの木の柱とコンクリートの柱を燃やしたら、今度はさすがに木に勝ち目はなさそうだ。う~ん、困った。
 まあ、それでもとにかく燃やしてみようか。10センチ角の木の柱と同じ大きさのコンクリートの柱を、でっかいバーナーで30分あぶってみよう。コンクリートの柱は見たところ何の変化もおきないけれど、木の柱はどんどん黒く焦げていく。ときどきチラチラと炎も上げながら柱は真っ黒になってしまった。30分たったので、バーナーを止め真っ黒な木の柱を観察するために、焦げたところで真っ二つに切ってみる。すると、案外黒いところは表面だけで、芯の方はもとのままの木が残っている。焦げた深さはだいたい2センチくらいだろうか。
 次にコンクリートの柱を切断してみよう。と、手を触れたとたん アチチチ。熱くてさわれない。木の柱の焦げていないところは素手でもさわれたのに、コンクリートの柱は炎の反対側でも熱い。これは、火事の起きた部屋の隣の部屋も高温になって蒸し焼きになるということを意味している。建物は残るけれども、中の人間は蒸し焼きになる。
 それに、ほとんどの人はコンクリートは絶対に燃えないと思っているけれども、600℃以上になると強度が低下して、650℃から崩壊を始める。もちろん木だって650℃になってしまえば燃えるけれども、コンクリートだってもう使い物にならない。さらに言うと、コンクリートの表面は火事になると爆裂することがある。鉄筋がむき出しになって火にあぶられ、事態はやたらと深刻になる。
 
 この火事編のネタ本をばらしてしまうと、長谷見雄二先生の「火事場のサイエンス」という本だ。少し引用させていただく。「耐火建築」というモノについて、頭の中をひっくり返してくれる。
 
 今日でも、木造の旅館で大きな火事があったりすると、調査も始まる前から、木造だったからこのような惨事になったのだと報道されたりするが、ことほどさように、木造が火に弱いというテーゼは、私たちの頭脳の奥深く浸透している。
 日本で都市の不燃化が本格化したのは、おおむね、1960年代の高度経済成長期以降のことであるが、木造をやめて「耐火建築」にすればそれで安全であるかというと、それ以降、何年に一度かは、大勢の犠牲者の出る火事が発生し、大阪千日デパートの火災(1972)では118人の犠牲者が、熊本大洋デパートの火災(1974)では103人の犠牲者が出た。(中略)戦災復興で建ち並んだ「木と紙」の町屋で火事を出して町中まる焼けになっても、そう多くの犠牲者が出ることはなかったのに、「耐火建築」で火事になると、多くの死者が出ることになったのである。(9頁)

 「耐火建築」で大火を撲滅しようとした目的は、よく考えれば、市民の人命安全確保というよりは、都市の社会資本・資産の保護にあったと考える方が自然である。火事で丸焼けになってしまったりすることのない都市があってはじめて、大規模な資本の投下や計画経済が可能になるのであって、耐火建築化と建築の大規模化・高層化は、表裏一体の現象として同時平行して進行したのである。(104頁)
 
 耐火建築は、建物を守るための「耐火」であり、人命を守るための「耐火」ではない、ということ。むしろ、耐火になることで大規模で高層の建物が増えて、結局、火事がおきると多くの犠牲者が出ることになってしまった。耐火だから、コンクリートだから安心だ、安全だというわけにはいかないのである。
 こういう話題を書いているホームページなどでは「だから木のほうが火に強い」なんて極論が書いてあったりするが、それはいくら何でも贔屓の引き倒し。普通の木造建築で考える限り、やはりコンクリートよりは燃えやすいという傾向は否めない。ただ、ここで確認したいのは、コンクリートも思っているほど火に強くないし安全でもないということと、木も思っているほどすぐ燃えるモノじゃないということ。
 頭の中に凝り固まったコンクリート信仰を、ちょとでも解きほぐしてほしい。
 
 それじゃあ木の家で子どもの命を守るためには、どうやって火事に強くするの? という大問題に立ち戻ろう。木造住宅、とくに20数年前の古い住宅の場合は結構よく燃えるはずだ。土壁ではなくなってから石膏ボードになるまでの間に建てられた家だ。土壁の場合は壁そのものにある程度の防火性があるし、壁の中身が空洞じゃないから煙突になることもない。内壁や天井がほとんど石膏ボードになってからは、構造材はほとんど石膏にガードされるようになったので、防火性能は向上しているはず。その中間の、築20~30年くらいの家は、土壁じゃないけれども柱が露出しているかベニヤの壁、天井は薄い板やベニヤだ。いくら木は案外燃えにくいとかいっても、これでは燃えてくださいと言っているようなもんだ。
 さっきも出てきたように、木は30分で2センチ足らずしか燃えない。もうちょっと正確に言うと、1分に0.6ミリくらいが炭化するといわれている。ようするに、厚さや太さがあれば、30分くらいは焦げながらでもナントカ踏ん張れるのである。
 昔の民家は、柱の太さは18センチとか30センチとか普通にあった。今年(2009)2月に世田谷区で三田家という築120年の古民家が全焼したけれども、写真で見る限りは骨格は保っている。その3日前には杉並区で「トトロの家」がやはり全焼している。私も愛読しているに宮崎駿氏の「トトロの住む家」で紹介されていた。この本の写真から判断するに、三田家のような太い柱の古民家建築ではないが、これも骨格は残っている。これ以外にも、木造住宅の全焼した写真を見ても、ほとんど骨の部分はかろうじて残っている。つまり、木造の木の部分は残っているのである。燃え尽きているのは、壁と床と天井と屋根だ。これが燃え抜けない位の厚さがあれば、被害は全然違うものになっていたはずだ。
 しつこいけど、もう一回書く。木造住宅は、柱や梁が木でできているから、木造住宅って呼ばれている。で、木造住宅が火事になっても、柱や梁はナントカ燃え残っていることが多い。燃え尽きているのは、他の部分だ。

 では、そもそも火事になる原因は何かというと、第1位はダントツで放火、たばこの火の不始末と天ぷら火災などのコンロがほぼ同率2位。件数は少ないけど規模は大きくなるのはがストーブ。
 放火は外からの話なので次の章に譲る。で、たばこは不始末をするな! 以上。
 ストーブはちゃんと管理のできるものにする。ストーブが燃えるんじゃなくて、ストーブの周りに燃えるモノをおいとくから火事になる。洗濯物を干したり、ヘアスプレーを放置したり。石油でも電気でもこれは一緒。火が見えないファンヒーターでも吹き出し口に燃えるモノを置いといたら燃える。アタリマエだけど。管理能力に不安があるならば、床暖房やエアコンのような低温暖房にしておこう。
 問題はコンロ。ガスだろうがIHだろうが、ものが煮えたり焼けたりするのだから危険はある。特に多いのが天ぷら油。これは、意外とIHクッキングヒーターで多い。原因は油が少なすぎる場合と、鍋底が反っていてセンサーが働かない場合があるようだ。それに、IHだから安心という心理的な油断もある。ガスでももちろん危険はあるが、最近のガスコンロは全部の口にセンサーがついているので、以前よりは危険は減った。
 私は、IHは電磁波が心配なのであまりおすすめしていない。というか、できるなら使わない方がいいよ、と言っている。IHをすすめないもうひとつの理由は、炎のない暮らしってどうなんだろう という気がすること。人間になって以来、ながらく使ってきた「火」を捨ててしまっていいんだろうか。それって、技術の進歩かもしれないけれども人間の知性の退化じゃないの と思う。それに加えて、唯一の利点である安全性にもケチがついた以上は、やっぱりIHはやめておいた方がいい。
 ガスコンロの場合に注意したいのは、周囲の壁や天井が燃えないようにすること。壁はパネルやタイルなんかの燃えない材料を貼るけれども、その下地になる部分が長年の間に焦げてきて、ある日火がつくことがあるので、必ず下地まで不燃性のものにすること。それと、これまでキッチンの天井は垂れ壁(手摺りを逆立ちさせたような壁)で区切らなくてはならなかったものが2009年5月から緩和されたので、例えばキッチンの天井を木にするなんてこともできるようになった。ただし、木を貼るときはある程度の厚みのあるものにしておいた方がいい。
 
 いくら注意しても、やはり火事はおきるときはおきる。注意するから大丈夫、といって対策をとらないわけにはいかないので、火事になってしまったときのことは考えないわけにはいかない。 
 火事には、ふた通りのパターンがある。ジブンチの火事とトナリの火事だ。ジブンチの火事は、家の中で燃え広がらないようにすることと、逃げ道を確保しておくこと。トナリの火事は、こっちに火が入ってこないこと。
  さっきから言っているように、木は30分で2センチ弱燃える、というか炭になる。これより薄いモノだと、炎が向こう側に燃え抜けて広がってしまう。だから壁や床や天井などの内装に木を使うときは、2センチ以上の厚さのものを使うのがウレシイ。2センチまで行かなくてもそれに近いものにしておきたい。天井で9mm、2階の床で15mmあれば、ちょっと効果は落ちるけど合わせ技にならなくもない。
 なんて考えつつも、住宅でなにが防火上の弱点になるかというと、実は吹き抜けとリビング階段だ。燃え抜けるもなにも、最初から仕切るものがないのだから、吹き抜けがあると炎の回りが早いのは簡単に想像が付く。それなら、吹き抜けとかリビング階段とかの炎の通り道になるものは作らない方がいいのか?
 この答えはとっても難しい。吹き抜けやリビング階段みたいなものがなんであるのか。いろいろ理由はあるだろうけれども、やはり大きなものは家の、いや家族の一体感を感じたいからだろう。リビングも階段も各部屋もそれぞれキッチリ独立していて、しっかりした天井と壁と扉に仕切られていれば防火的には上等だ。だけど、それでは家のなかがバラバラになりすぎるから、家族の交点を作るために吹き抜けやリビング階段ていうものは作られる。動き回る動線や目で見る視線や物音や雰囲気や、そうした同じ屋根の下に住む人がどこかで交わるようにしている。
 もちろん、そうした交点をわざと作ることが絶対の条件ではないから、家族のあり方や考え方によってはそんなものは要らないこともある。それはあるけれども、でも多くの場合はどっかで交点を演出しておかないと、だんだん家族が疎遠になってしまうことを心配して吹き抜けやらリビング階段やらを作る。それを、防火という理由で完全に否定してしまっていいんだろうか?
 そうそう、リビング階段を念のため説明しておこう。文字通りリビングの中に階段があること、ってそのまんまじゃあ説明になってないか。階段は普通は廊下とか玄関ホールとか、リビングや居間ではないところに作られることが多かった。明確な理由は分からないけれど、おそらくリビングの前身が座敷であったせいだろう。ちょっと昔の日本の家にリビングなどというものはなかった。あるのは、客間としての座敷と食堂としての居間だ。居間は直訳するとリビングルームになるみたいだけれど、広さと機能を考えると横文字のダイニングに近い。LDKのDだ。Lのほうのリビングは、座敷が家族用に浸食され変容した形態だろう。
 リビングが座敷の進化したものだとすると、座敷に階段を作るなんてことは日本の大工さんの感覚では120%あり得ないことになる。機能性とか可能性とかのず~と以前に、そもそも想定外だったのである。リビングの吹き抜けもなかなか定着するまでに時間がかかったのも、同じ理由ではないだろうか。座敷の天井というのは、いろんな様式があって大工の腕の見せ所でもあった。それに、もともとは天井なんてなくて屋根裏が見えていたところに、座敷だから特別に上等な天井をこしらえたのだ、歴史的には。それをわざわざ取り払ってしまうなんて愚の骨頂、と昔ながらの大工には思えたにちがいない。
 そんな歴史を経ながらも、家族のあり方の変化や進化にともなって、ようやく家のあり方も変容してきた。その象徴が、リビングの吹き抜けであり階段なのである。べつに、これを賛美するつもりではないが、そういう艱難辛苦を乗り越えて定着してきたといことを知っておいてほしい。ところが、このリビングの天井に吹き抜けや階段で穴を開けることは、防火の弱点になってしまう。さあ、どうする。
 結局答えにはならないけれども、家については何事もバランスだということ。何かひとつの要素にこだわりすぎて、凝り固まって執着してしまうと、他の要素が置いてきぼりになってしまう。一番大事なことは、家が子どもを守ること。もちろん、子どもだけじゃなくて大人もだけれども、子どもは否応なくその家に住まなくてはならないのだし、何せ先が長い。これからの、この大変な時代を生きていかなくちゃならないのだ。
 だから、防火性ももちろん考えつつ、それでも家族にとって子どもにとって必要であるならば吹き抜けやリビング階段やその他諸々の空間構成はあって良いと思う。
 ただし、火事の可能性はどんな家でもあるのだから、逃げ道だけは考えておかなくてはならない。階段を通れなくなったらこの窓からとか、玄関に出られないときは勝手口からとか。特に、防犯のために小さい窓や面格子ばかりになると火事の時に逃げられない。泥棒が入れないだけに自分も出られない。このへんは、ぜひとも考えておきたい。
 
 さて次はトナリの火事がこっちに入ってこないことについて。これは同時に、こっちの火事がトナリに燃え移らないことでもある。
 と書き始めようかと思ったけれど、この章ばっかり長くなってしまうので、この話は<火事編その2>につづく。
 
 
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