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Hello 山岸飛鳥 さん     
2024.04│ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
プロフィール
HN:
山岸飛鳥
HP:
性別:
男性
職業:
木の家プロデュース
趣味:
きこり
自己紹介:
木の家プロデュース明月社主宰
木の力で子どもたちを守りたい
田作の歯ぎしりかもしれないけど
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  どちらかというと学校のことに話題が集中してきたので、そろそろ家、住まいのことに話を戻そうか。子どもを守るための木の家をどうやって手に入れるのか。
 
 その前に、最近の家庭菜園ブームについて。何年か前まではガーデニングの雑誌が並んでいたところに、今は家庭菜園が陣取っている。家の雑誌なんて片隅に追いやられて、書店の一番いいとこにずらっと。もっと驚いたのは、家庭用トラクターのコマーシャルをテレビのゴールデンタイムでやっていること。知ってる人も多いだろうけれど、某バイクメーカーがカセットコンロのガスボンベで動く耕耘機を作った。けっこうカワイイ。それ以外にも、肩にひょいとかけて使える耕耘機なんかも2,3万円で販売されている。
 そんな情報に驚いた数日後、近くのショッピングセンターに行くと、新しい店ができていて、店頭になんと耕耘機がおいてある。シーンズショップ、靴屋、HMVのCDショップの隣に耕耘機が並んでいる光景はなかなかシュールだ。看板をよく見れば、ヤン坊マー坊のあの会社が展開する家庭菜園ショップである。花屋の片隅で種を売っていた野菜たちが、一気に主役に躍り出た感がある。いったい誰が仕掛けたのか、ヤン坊マー坊に聞いてみないと分からないけれど、たぶん自然発生的なものではないだろうか。前の章でもちょっとふれた食育なんていうのも関係しているとしても、そんな地味なもので大流行は生まれないだろう。都市住民の心の中に「野菜を育てたい」という切実な思いがムクムクと湧き起こってきたということだ。これはスゴイなあ と思った。
 私が30の手習いで建築の学校に通い始めて、最初に作った課題設計は畑付きの図書館だった。ちなみに卒業設計は銭湯付きの美術館だったのだが、まあそれは置いといて、都市機能に畑が必要だという思いはずっと感じてきた。もっと昔を振り返れば、中学2年までは庭には必ず畑があった。母親が畑好きで、庭というものは野菜が植わっているものだと思っていた。取れたてのトマトやトウモロコシの味は、子ども心にもうまいなあと思った。そんな原風景もあって、畑のある家というのはごく当然のものだと思ってきた。
 これまで何軒か畑のある家も設計した。25坪の敷地に5坪の畑があると、ひとり暮らしのオジイチャンにはちょうどいい広さの畑になる。住み始めて1年後に訪ねたときに、ますます元気になっている様子を拝見してホントにうれしかった。しかし、現実は厳しい。30坪程度に割られた敷地に、4人家族くらいの建物と駐車場をとると、ちょうど一杯になるようにできている。もちろんその気になれば、ゴーヤの一本くらいはスキマにでも植えられるけれど、畑という姿はなかなか作れない。子育て真っ最中の若いファミリーが手に入れられる家に畑を確保するというのは、結構難しいのだ。
 そうなると、今度はあこがれの「田舎暮らし」となる。これまたコの手の雑誌はいっぱいある。田舎不動産物件の広告がメインで、その間にバラ色の田舎暮らしのグラビアや取材記事がならんでいる。何を隠そう、私もときどき立ち読みしてはため息をついている。疲れているときほど、深い深いため息がでる。半分本気で土地を見に行ったこともある。けど、踏み切れないのは仕事があるからだ。
 私の場合は、自分の仕事は少々田舎でもできるけれども、カミさんの職場に通えるというのは絶対条件だ。ぶつぶつ文句言いながらも仕事に誇りをもっているようだし、なにより頼りないダンナの稼ぎだけでは一家の財政が心許ない。これは、夫婦のどちらの仕事であれ、ほとんどの家庭に共通していることにちがいない。いくら田舎暮らしにため息が出ようとも、仕事を辞めて引っ越すわけにはいかない。
 それでも、私はあきらめきれずに、子どもたちが大きくなってしまう前に畑のある家に住みたいなあと考え続けてきた。ウチだけでなく、多くの子どもたちが、そういう環境で育つことができたらいいのに。種をまいて、育って、もぎ取って、食う。これを日常的にアタリマエのようにできる子どもは本当に幸せだ。手伝わされてツライと思うかもしれないが、でも絶対に命の体験は残る。血となり肉となる。
 今は保育園や小学校でもやってるじゃないかという人もいるだろう。そう、ほとんどのところでやっているし、それは良いことだと思う。下の子の保育園では、芋掘りが年中行事だし、お姉ちゃんの通っている小学校では、5年生になったら田んぼでお米を作るらしい。でも、これは特別な行事ごと。もし学校でするのならば、1時間目はずっと畑の時間にしてしまうくらいの、日常的な普通の光景になってこそ、子どもの原風景になるのだと思う。
 そうなると、やっぱり家に畑が欲しい。無理なローンを組まずに、坪20ン万円とかの悲しい家じゃなくて、畑を確保することができまいか。なにせ、自分でもそんな家に住みたいと思っているから、しつこくシツコク考えてきた。で、これならできるかも、という答えが見つかった。
 
 なにぶん、この世の中は資本主義なのだから人気があって需要が多いものは値段が高い。じゃあ、人気がなくて需要が少なくて供給は結構あるものを使えばいいんじゃないか、そう考えた。
そのひとつは、山の木だ。これまで縷々述べてきたように、日本の山には木があり余っている。流通の問題があって、必ずしも安くはないけれども、高くもない。輸入材よりも国産の木は高いようにいわれることが多いけれども、それはウソ。いま、家を建てる木で一番安いのは、国産の杉の木だ。まして、間伐して捨てられている木をうまく使うことができれば、少々安い値段でも山を管理する人たちにはいくらかの利益になる。
 もう一つ、うち捨てられているものがある。それは、郊外のニュータウンだ。大阪近郊の場合だと、都心から1時間程度の場所でも、ビックリするくらいサビれている。造成されてから40年近い「ニュー」タウンは、住人の平均年齢も70才を越えつつあり、空き家も非常に多い。大阪梅田から23分の千里中央の周辺に、日本で最初の大規模ニュータウンといわれる千里ニュータウンが広がっている。ここはさすがに今でも値段が高く、土地の値段が坪80万から100万くらいしている。敷地面積が100坪くらいあるから、まず普通の人には買えない。この千里ニュータウンですら、空き家がすごく多い。実は数年前にある地区を全戸調査したことがある。(このときの数字は今手元にないので、確認してからここに追記します。)
 ましてや、もっと交通の便が悪いニュータウンは推して知るべし。空き家どころか、街開きしてから何十年も家が建てられなかった土地がゴロゴロしている。土地の値段も坪10万とか7万とかいう状態だ。まだなんとか住めそうな家と50坪くらいの土地で、1000万出したらおつりが来る。千里ニュータウンのなんと10分の1。
そのままではいくら何でも住みたくないけれど、庭の土を入れ替えて、構造の補強をして、木の内装を施して、ついでに畑作業に便利なように土間を作ったりして、なんやかんやで2000万くらいで畑のある木の家が手に入りそうだ。
 そうは言っても、ニュータウンのあの殺伐とした町並みの中では田舎暮らしの気分じゃないよ と私も思う。これまで見てきた坪10万円以下の多くの郊外ニュータウンに「住みたいか?」といわれれば、答えはNOだ。ところが、あっちこっち見て回ると、結構変わり種があるのでアル。普通のニュータウンのすぐ裏に突如として別荘地が現れたり、町並みは普通でもすぐ周囲がハイキングコースだったり、行ってみると「オオッ」と思う場所がある。もともと、人気のない地域だから、オオッと思おうが思うまいが不動産評価は何にも変わらない。どっかのコマーシャルでスマイル=ゼロ円というのがあったような気がするけども、感動=ゼロ円なのである。これはオイシイ。
 
 土地はそれでいいとして、建物は古いものを使って大丈夫なのだろうか、という問題もある。これはケースバイケースだ。いくらモッタイナイと思っても、さすがにコリャダメダというのもあるし、ちょっと補強すれば今どきの家より立派なのもたくさんある。
これまで、耐震診断などで古い家の天井裏や床下に潜ってきた経験値から言うと、1970年代~80年代に作られた家があまり良くないケースが多い。90年代以降は、材料も工法も画一化してきて、良くも悪くもないというのが多い。60年代より昔の家は土壁だったり、使っている木材もいいものを使ってる場合がけっこうある。それより古くて、築50年を超えてくると戦後の木も物資もない時代になってしまって良くなかったりする。もちろん、あくまで傾向を言っているのであって、そうでないケースもたくさんある。
 総じて、補強をすれば充分使える家が大量にあることは間違いない。特に、70年代に大量にたてられた築30年を過ぎた住宅をどうするかがポイントだ。どこを見て、使えるとか使えないとか判断するのか、使えるならばどこをどう補強するのか、その辺は書き出したら止まらないので章をあらためて書くことにして、とにかく、そういう家がたくさんあって、それが世の中では全然人気がなくてメチャお買い得なのである。
 
 改まって言うならば、これまでの日本経済のバブルの遺産をよみがえらせようという試みだ。そう、これは不死鳥計画、フェニックスプロジェクトなのである、と大げさなことは言わないけれど、木材は戦後の拡大造林という政策によるバブル。交通の便の良くないニュータウンは明らかに高度経済成長から日本列島改造バブルの遺産。そこに建っている住み手をなくした大量の中古住宅も然り。70年代前半の列島改造景気、80年代後半の平成バブル、そんな浮かれ踊った後の抜け殻だ。
 そういうバブルの遺産を持ち寄って、新しい命の家を造れたら、これはなかなか痛快じゃないか。いかが? 畑のある木の家で子どもも大人も野菜も育つなんて、良いと思いませんか?
 
 
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