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Hello 山岸飛鳥 さん     
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プロフィール
HN:
山岸飛鳥
HP:
性別:
男性
職業:
木の家プロデュース
趣味:
きこり
自己紹介:
木の家プロデュース明月社主宰
木の力で子どもたちを守りたい
田作の歯ぎしりかもしれないけど
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  私は昔から学校が嫌いだ。少なくとも好きじゃない。よくよく考えてみれば、学校って異常な集団じゃないか。たまたま近くに住んでいるというだけの理由で、朝の8時半から夕方の4時くらいまで、月曜から金曜まで同じ部屋に詰め込まれ監禁される。一人あたり1畳分くらいのスペースというのも、スゴイ話。6畳の部屋に6人が朝から晩まで缶詰になったら、どれほどウットーシイか想像できるだろう。しかも、床の間にはセンセが鎮座していたりする。
 そして、この何の必然性もない集団の中で、友だちを作らなくてはならない。社交的な性格は悪いことではないが、それと同じくらい非社交的なことも悪いことではない。そんな人間にとって、年齢と居住地域以外に何の共通項もないものと友だちになるというのは、とんでもなく苦痛な話だ。子どもは必ず友だちができるものだ、なんていう迷信は、社交的ないわば表側の人たちの言い分であって、ウソではないけれどもことの半分でしかない。
 近くに気の合う子がいなかったり、一人で遊ぶのが好きだったり、人と話すのにものすごく緊張したり、いろんな子どもがいるはずだ。でも、いろんな子どもを認めるということは、集団生活を進行する上では大きな負担になる。1人の先生を3人にも4人にも増やさなくては対応できないとか、そもそも先生の価値観を大幅に広げてもらわなくてはならない。現実は、子どもの都合にあわせて先生を増やしたり、先生の方が変わるなんてことはなくて、学校の都合や先生の価値観に子どもが合わせられることになる。
 で結局、集団生活に効率的なように、みんなに併せて人付き合いのできるのがアタリマエということにされてしまう。その時点で、イジメはもう既定路線だ。かならずおきる。おきないほうがオカシイ。
 
 さかなクンの「いじめられている君へ」という話は有名な話なので聞いたことのある人も多いだろう。中学の吹奏楽部でいじめられている友人と一緒に釣りにいったこと。言葉を交わさなくてもそばにいるだけで、その子がほっとした表情になったことなど。なかでも次の一節は多くのひとが引用している。
 
でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。(朝日新聞2006年12月2日より)
 
 水槽の中の秩序が必要になった時点で、イジメは必然的におきてくる。決まりというのは破るためにある、なんていう言葉もあるように、自然な状態では守られないからこそ決まりなんていうものがある。ほっておいても守られるのなら、わざわざ決まりなんて作られない。息を吐いたら次は吸わなくてはならないという決まりはないように。
 だから、決まりのあるところには、必ずそれを破る傾向のある者が存在する。着替えたり食べたりするのが遅いとか、なにか秩序を乱す子どもは必ずいる。本来そういう子がいるのがアタリマエで、そういういろんな子どもがいるから、それを締め付けるために決まりや秩序を作っているのだから、ちょっとくらい努力しても乱してしまう子どもはかならずいる。もし見た目にはいないとしても、それは、一定の子どもにものすごく大きなストレスを与えている。私自身が、典型的にそういう子どもだったから、骨身にしみてわかる。絶対にそうだ。
 
 今でも覚えているのが、「休み時間は外で遊びましょう」という決まりを学級会で決めたときのことだ。小学校の高学年だったと思う。言われなくても、休み時間はチャイムとともに校庭に駆けだしていたけれども、なんでそんなことを「決まり」にして多数決で強制されなくてはならないのか、強烈に反発を覚えた。今日は外へ出たくないなあ、という気分の子がいてもいいじゃないか。なんで、それを無理矢理ひっぱり出さなくてはならないのか。
 その決議があった日から、私は外へ出なくなった。休み時間も一人で教室にいた。いや、2~3人はいたような気もする。すると、いい子ちゃん代表がやってきて、ちからづくで引きずり出そうとする。机にしがみついて抵抗した。結局、規則違反という判決が下って、午後の授業は床に正座させられたまま受けた。くやしくてくやしくて、涙を流しながら授業をうけた記憶は、今でも鮮明だ。
 これが、教師といい子ちゃんが先導する秩序の姿であり、イジメの構造であると私は確信している。一人一人の人間の許容範囲(物理的な意味でも精神的な意味でも)が狭められていくと、ある限度を超えたところで決まりや秩序が非常に厳しく登場し、イジメも発生する。学校でも会社でもサークルでも公園ママでも、基本構造は同じ。
 
 教師の皆さんの名誉のために一言付け加えておくと、たぶん良い教師だろうが悪い教師だろうが、イジメが起きることはあまり変わらないのではないかと思う。なにが良いのか悪いのかもよくわからないけれども、まあ敢えて言えば、子どものことを真剣に考えている教師でも、自分の都合しか考えていないような教師でも、結果は大きく違わないのではないか。学級崩壊などという目に見えるものは教師のやりかたで結果は変わるだろうけれども、イジメという目に見えない部分も大きなものは、たぶん変わらない。
 さっきの体験談にしても、その当時の担任は専門が体育の男の先生で、実は子ども思いの「良い先生」だったと思う。夏は、他の授業をつぶしてプールばっかりやっていたし、春と秋は野球ばっかりだったし、冬はサッカーばかりだった。他の学年のときの先生と比べても、 あの人はあの人なりに一生懸命に子どもに向かっていたと思う。PTA活動ばかり熱心で子どもの顔なんて見ているのかどうか怪しげな先生とか、いかにもお仕事だからやってますという先生なんかに比べると、正直良い先生だったと思う。だから、必ずしもその先生は嫌いではなかった。
 にもかかわらず、私は今でも「ガキュウカイ」という言葉を聞くと心臓の筋肉が少々キュッとなる。学校運営のための都合を、学級会の多数決という形で秩序化させる構造。それに反抗する者にたいし、これまた子ども同士の正義の制裁という形で罰する構造。これは、今改めて思うけれども、私の心のトラウマになっている。
 もちろん、イジメの場合は、必ずしも学校や教師の望む秩序に沿っているわけではない。その集団で支配的な秩序がなんなのかは、ケースバイケースだろう。共通しているのは、その秩序が集団の生き残りにとって大事なものになっているということ、そこまでその集団が追い込まれているということ。例えば、勉強のできるものが支配的であれば、いわゆるオチコボレがいじめられるかもしれないし、オチコボレが支配的であれば、落ちこぼれていない者がいじめられるかもしれない。それは、勉強できることが生き残り戦略であれば、できない者は見せしめとして生け贄にされるし、勉強できない者の砦を作っている場合には、勉強できる者はその砦を崩す破壊者としては除される可能性があるからだ。どっちにしても、既成の価値観の中で追い込まれ、なんとか生き延びていくための戦略であることには変わりない。
 
 さて、さかなクンのさっきの話を聞くと、私としては山の間伐の話をしないわけにはいかない。山に杉や桧の苗を植えた後の話だ。山に苗木を植えるときは、1ヘクタールに3000本以上植える。奈良県の吉野地方なんかでは、多いときは1万本も植えるという。間をとって5000本としても、1ヘクタールは1万㎡なので1本あたり2㎡、子ども一人あたりの教室の広さと同じくらいだ。やがて杉の木は10年15年と育っていって、枝を伸ばして隣どうしくっついてしまう。こうなると、押されて曲がってしまう木や枝を伸ばせなくなる木も出てくるし、地面に光が届かないので草が生えなくなって土が流されるようになってしまう。そこで、間伐を行う。カンバツということばを聞いたことがなければ、マビキと言ってもいい。大根やニンジンでもやるアレだ。
 流儀はいろいろあるのだけれども、とにかく、曲がった木や育ちの悪い木なんかを切り倒してしまう。そうすると、残った木は良く育ち、下草も生えていい山になっていく。これを、何年かに一度づつ繰り返して、最終的には苗木のときの10分の1くらいまで切って減らしてしまう。そして、その最後の木は高く売れていく、というのが理想的な林業の姿とされている。実際は、そこまで丁寧に間伐している山は多くないし、間伐しても育てても最後の木はそんなに高くは売れなくなってしまったけれど。
 こうした説明をすると、たいがい「なんで1万本も植えるの? 最初から少なく植えたらダメなの?」と質問される。これは答えははっきりしていて、「良い木」を育てるため だ。良い木というのは、まっすぐで、年輪が細かくて、根本と先の太さが変わらなくて、枝の少ない木だ。最初からまばらに植えてしまうと、枝ばっかりのばして、横に太るから年輪が粗くて、根元が太くて先の細い木ができる。それを防ぐために、わざと窮屈な思いをさせて育てて、負け組をどんどん切り倒して、良い木だけを残してやるのだ。
 「木はなんて可愛そうなんでしょ」てなことを言いたいワケじゃない。それを言い出したら、畑の野菜でも、庭の木でも、花壇の花でも、人間の育ててるものなんてみんなそんなもんだ。ブロイラーのニワトリも養殖場のハマチもみんな一緒。ここで言いたいのは、子どもたちを杉や桧と同じような育て方をして良いのか ということ。そして、今の「イジメをなくそう」という大合唱は、「間伐をしよう」という呼びかけのように聞こえる ということ。
 
 イジメというのはある一面では、真っ直ぐでない木でも生きていく可能性を残している。もちろん、それは真っ直ぐな木や、もっと曲がった木を押しのけていくのであって、それをOKというのではない。けれども、少なくともそういう一面はもっている。でも、イジメ粛正キャンペーンは、曲がった木は根こそぎ切り倒して切り刻んでしまえ、という。イジメは犯罪だから、学校はすぐに警察に電話しろ、告訴しろ という。
 これは、間伐して障害樹を伐採せよ、という話とまったく同じだ。でも、なんで間伐をしなくてはならないのか。それは、そもそも人間が使いやすい木を育てるために、やたらとたくさんの苗木を植えたからだ。最初からまばらに植えてあれば、商品価値はない木がノビノビと育つはずだ。
 間伐というのは、偶然曲がった木があるからするものじゃない。はじめから、そうなることがわかっていて、計画的にする。イジメ粛正キャンペーンも同じで、確信犯だ。いじめっ子が出てくることがわかっていて、それを計画的に抹殺しようとしている。
 しかも、曲がった木が真っ直ぐな木をいじめているときには、バサバサと間伐されるけれども、真っ直ぐな木が曲がった木をいじめているときには、これは伐採されることはない。私が経験したように、学校の都合を多数決で押しつけるような行為は決してイジメとは認定されないし、もちろん告訴されるわけがない。曲がった木、商品価値のない木だけが、間伐されていく。
 
 原生林に真っ直ぐな木はない。商品価値なんてない。白神山地で有名なブナなんて、木偏に無と書くくらいだ。でも、息をのむほどに美しい。これが、命の本来の姿なんだと思う。建築に使う木も、これまでの価値観を1回壊す必要がある。年輪が密で、真っ直ぐで、節がなくて・・・ それはそれで良いことだけれども、そうでない木でも場所によって充分使えるし、しかもキレイだ。
 最近の若い人は、節がある方が好きだという人も多い。山で木を育ててきた人たちにしてみれば、苦労して育てたのだからその価値を認めて欲しいと思うのは人情だけれども、そろそろ価値観を発展させる必要がある。既に、日本の山は手入れ不足が深刻なのだから、曲がった木は曲がったなりに、節のある木は節のあるなりに楽しむのが一番いい。そういう木を、学校にこそ使いたい。
 おもいっきり「ちゃんとしてない」木を使って、「ちゃんとしてない」人間が育つ場所であって欲しい。せめて許容される場であって欲しい。「ちゃんとしてない」ぶんだけ、優しくあってくれれば、自分のしたいことを感じてくれれば、もうブラボーだ。
 
 各地の学校や教育委員会にも、心ある人たちは決して少なくないと思う。学校嫌いの私でも、実は密かに信じている。ただ、国に縛られ、知事にいじめられ、常にクビになる恐怖と隣り合わせなんだから、本当にお気の毒だと思う。せめて、子どもたちのあるがままを見つめる場を作ってほしい。そして、そんな場所には山の曲がった木が最適だ。皆で山に行って、もらってきてはどうだろう。学校の実習として森林組合なんかに相談すれば、よろこんで協力してくれるところもたくさんある。私に相談してもらっても、少しは力になれるかもしれない。
 粛正キャンペーンに全国の学校が染まってしまう前に、微力だけれども、ひとつの突破口になりはしないだろうか。


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無題
非常に深い問題で、簡単に比喩では解け得ない。
否応なく自分の子育て、ないしは教育に携わった者としての過去の反省批判を含むので、一層である。矯正の矯の字は、もともとは高くすっきりと伸ばす意味だったが、それが、たわめると読まれるようになった・・・・。
杉並嵩 2009/06/01(Mon)11:19:26 編集
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