忍者ブログ
Hello 山岸飛鳥 さん     
2024.04│ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
プロフィール
HN:
山岸飛鳥
HP:
性別:
男性
職業:
木の家プロデュース
趣味:
きこり
自己紹介:
木の家プロデュース明月社主宰
木の力で子どもたちを守りたい
田作の歯ぎしりかもしれないけど
最新トラックバック
最新コメント
[06/01 杉並嵩]
[05/24 aone]
[05/17 杉並嵩]
[05/12 汐音]
[05/07 草]
ブログ内検索
アクセス解析
カウンター
ご意見はこちらから
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  家を建てる場所がどこだろうと、木の床を貼る学校がどの都市にあろうと、関係者一同はまず山へ行かなくてはならない。行ってもいいとか行った方がいいとかじゃあない。行かなくては話が始まらない。
 登山やハイキングをする人なら、日本の山の特徴を知っている。登り初めてしばらくは薄暗くてうっとうしい針葉樹の森がつづいていて、しばらくするとやっと広葉樹の明るい森に抜けてなんだか嬉しくなったりする。ところが、山へ行く山はこのうっとうしい針葉樹の森のほうだ。いやいや、見る目がかわるとうっとうしいどころか面白いことこのうえない。
 山のわりと低いところに生えている針葉樹は、全部人間が植えたもの。戦前からのものもあるけれども、ほとんどは戦争に負けて街では家が焼きつくされたあとに植えられたので、日本の山の針葉樹は50才くらいの木が圧倒的に多い。なんで、家が焼けた後に植えられたかっていうと、考えるまでもなく木が売れたからだ。
 山に立っている木の値段を見ると、955年(昭和30年)に1立方メートルあたり4500円だったものが、2001年には7000円くらいで1.5倍になっているのだけれども、物価は6倍くらいになっているので実際は4分の1に値下がりしていることになる。つまり、昭和20年代は今の4倍の値段で売れたのだ。こりゃスゴイ。笑いが止まらないね。
 ところが、戦争中に大きい木はバンバカ伐って軍がもっていっちゃったから、売りたくても売る木が足りない。ちなみに、軍がどんどんいい木を買い上げていったときに間に入って大もうけしたのがブローカーとか政商とかいわれる連中だ。山の持ち主は軍の言い値で売るしかなかった。お国のため と言われて。
 話を戻そう。戦争で家が焼けてしまったので、とにかく木は売れる。これに国が追い風をブンブン吹かせたのが、拡大造林という政策だった。これまで薪や炭にしていた広葉樹の林をぶった切って杉と桧を植えろ!と大号令をかけたのだ。これがどのくらいスゴかったかというと、わずか15年あまりの間に400万ヘクタールに杉や桧を植えてしまった。400万ヘクタールというのは、なんと日本の陸地面積の1割以上で、現在の日本中の宅地面積の2倍だ。田中角栄の日本列島改造もすごかったけど、面積だけなら拡大造林のほうがずっとデカかった。
 それにしても、50年たたなきゃ売れない木を、足りないからといって泥縄式に植えたというのが今から見れば信じられないことではある。泥棒ととらえて縄をなうどころか、泥棒を捕まえてから縄の原料になる麻の種まきをするようなものだ。でも、日本中が熱に浮かされたように杉と桧を植えまくった。ほとんど素人のような人がどんどん裏山に植えたものだから、本当は杉なんかには適さない山にもドンドンどんどん植えてしまった。
 低い山の南斜面に杉を植えると、成長が早すぎて目の込んだ良い材料ができない。そのかわりに花をいっぱいつけて花粉を大量に生産してくれる、と吉野の林業家が言っていたけれどもさもありなん。拡大造林の400万ヘクタールを含めて、日本の陸地の4分の1は杉と桧と唐松が植わっていて、なかでも杉が圧倒的に多いのだから花粉症などはおきてアタリマエだろう。
 
 こんな山の歴史や花粉症の原因まで考えつつ針葉樹の森を見ていると飽きることがない。自然の勉強と社会の勉強を同時にできる生きた教材だ。そして忘れてはいけないのは、拡大造林で私たちのジジババチチハハの世代が植えてしまった杉や桧がちょうどお年頃を迎えているということ。とくに杉は、50年くらいで良い柱になる。60年を超えると床を支える梁にもなる。いくら熱に浮かされて植えられてしまった木だとはいっても木には罪はない。勢いでできちゃった子どもでも同じようにカワイイのと同じで(?)、拡大造林でできちゃった杉の木でも同じように立派な杉の木だ。
 戦後の復興というとすぐに土木建設や電機メーカー・自動車メーカーの躍進ばかりに目がいくが、拡大造林だって傾けた情熱では負けていなかった。ちょっと先見の明が足りなかっただけで。わずか50年ほど前に日本の陸地の1割もの山地に杉と桧を植えるというとんでもない大国民運動を繰り広げたことを、まるで無かったことのように忘却の彼方へ押しやるわけにはいかない。良い面も悪い面も含めて、僕らの世代は受け止めなくちゃならない。そうじゃなくちゃ、ジジババチチハハは浮かばれない。いや、なによりも立派に育った杉の木が可哀相すぎる。
 それに、あまり粗末にすると杉の木は復讐の鬼になることだってある。花粉症もそうだけれど、もっと怖いのは水だ。山へ行って針葉樹の森を見たら、まず地面に注目してほしい。根っこがウネウネと見えていて、土の表面が流れているような森は赤信号だ。植えられたまま放置されて日も射さないため草も生えず腐葉土も作られず粘土質の土がむき出しになっている。こんな森は水を貯めておくことができない。雨が降るとそのままザザーと川に流れ込むからあっという間に水かさが増え、ずっと下流で悲劇が起きる。川遊びをしている子どもを飲み込み、道路や家を押し流す。
 川はもちろん海に流れ込むから、雨に削られた草の生えない山の土は海に流れ込んで、生き物の上におおい被さって窒息させ、昆布やワカメなんかの海藻は赤く変色し、魚も激減する。
 山の土を見ると、そんなことが分かる。もし、出かけていった山の土がそんな悲しいひび割れたような土ではなくて黒くてフカフカで草や小さい木がいっぱい生えていたら、それはとても幸せな針葉樹の林だ。その山の持ち主が責任感のある人だという証拠。儲からないのをガマンして、枝うちや間伐などの手入れを何十年も続けてきたということだ。
 針葉樹の森は、杉にしても桧にしてもとてもたくさんの苗木を植える。1ヘクタール(100mx100m)に3000本とか7000本とかの苗木を植えるから、1本あたり1畳くらいの広さしかない。これではちょっと木が大きくなったら枝と枝がこすれあって押し合いへし合いになってしまうので、まず枝を切り落とす。光合成に必要なてっぺんの方は残しておいて、下の方は枝を切ってしまう。切るといっても、最初は手が届くから良いけど20年30年と育ってくると背伸びしても届かない。これをプロの木こりは巧みなロープワークでするすると木に登り枝を落としてくる。そして、いちいち登ったり降りたりするのは大変なので、木から木へ飛び移るというのだからビックリだ。ムササビもたじたじ。
 とにかく、そういうモノスゴイことをしながら枝をきるのを枝うちという。枝うちをすると森の中に光が射し込んで草が生え土が生き返る。見た目にもうっとうしい森から麗しい森へ変貌する。
 そして、もう一つ枝うちの目的は節の無い材木を作ることでもある。今どきの価値観では節の無い材木がそんなにいいとは思えないけれども、昔は節の無い材木で家を建てるのが金持ちのステータスだった。だから、金持ちに高く買ってもらうためにせっせと枝うちをしていたのだが、最近ではそこまで手入れをしている森はほんとうにわずかになった。節のない木をステータスだなどと思って大金を払う人たちが少なくなってしまったからだ。
 それでもやがて木と木がくっついてきたら、いよいよ間伐をする。間伐の方法はいろいろあって説明が難しいけれども、不要な木を切って残す木を大きく育てるということ。不要というよりは、早めに切ってしまう木と長く育てる木を分けていくと言った方が正確かもしれない。山の斜面に生えている木を全部切るのはわりと簡単だ。切った丸太を運ぶのも、全部だったら方法がいろいろある。けれども、間伐というのは、木と木の間にある木ををポツポツと切っていくから非常に効率が悪い。どの木を切るか考えることから始まって、切って倒して丸太にして運ぶ。これがぜんぶ効率悪い。だから、間伐をしない山がどっと増えてしまった。
 いくら効率が悪くても、これをやらないとただでさえ価値の下がっている杉の木が本当にタダ以下になってしまうので、かろうじて間伐はする山もある。切るところまでは補助金が出るから、とりあえず切るところまでは切る。しかし、木は切ってからが大変。たっぷりと水分を蓄えた丸太は重い。もうめっちゃ重い。これを山の中から林道まで引っ張り出すだけでも一仕事だ。さらに市場まで運ぶ手間を考えると、全然採算が合わない。で、どうなるかというと、切った木は山に捨てられる。
 土は黒くて草も低木も生えている幸せな山でも、ちょっと見回せばうち捨てられた丸太が目に入る。樹齢も40年を過ぎるようになれば、間伐とはいっても充分に柱や床や壁になるイッチョマエの木だ。それがゴロゴロと捨てられている。まるごと。(ちなみに、大阪のホームセンターでは30㎝くらいの丸太の切れ端が1500円で売られているのを私は目撃した。)
 
 山へ行くと、こうした木の受難を目の当たりにすることになる。それでも、山は気持ちがいい。ここで枝うちや間伐の体験をすると、自分も山の一部になれたような気がしてうれしくなる。木はただのモノではなくて、命をもって語りかけてくる。この体験をぜひとも子どもたちにしてもらいたい。
 学校の床に貼る木を切りに遠足に行けばいい。うちの小三の娘は直径15センチの杉を一人で切り倒した。大丈夫、小学生でもできる。
 6年生になったら修学旅行で山に泊まり込みイノシシ鍋を囲んで林業家の話を話を聞いてもいい。油の乗ったイノシシやとろりとした自然薯は子どもの感性を解き放ち、生きる実感を取り戻してくれるだろう。
 理屈や言葉じゃ説明しきれない。とにかく、山へ行こう。針葉樹の山へ。
 
 
にほんブログ村 子育てブログへ
にほんブログ村
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
←No.11No.10No.9No.7No.6No.5No.3No.2No.1